「思考の整理学」 外山磁比古著

2025-02-04 | 八方良しを目指して

この本は、2020年にお亡くなりになった外山氏(文学博士・元お茶の水女子大教授)が書かれたもので、1983年の発売以来、累計290万部のベストセラーです。題名からして、思考のことを学ぼうと購入したのですが、読んでみたら、私が同志と運営している「ほんもの寺子屋」と重なる部分があり、びっくりしたので、紹介をさせていただきます。

私が、寺子屋を立ち上げようと思ったのは、教育を根本から変える必要がある、と思ったからです。
その理由がいくつか書かれていました。



「学校の生徒は、先生と教科書にひっぱられて勉強する。独力で知識を得るのではない。いわばグライダーのようなものだ。自力では飛び上がることはできない。
~中略~
学校はグライダー人間訓練所である。飛行機人間は作らない。どこでもついていく従順さが尊重される。
優等生はグライダーとして優秀なのである。ひとつ飛んでみろ、などと言われても困る。
~中略~
成績のいい学生ほど、論文にてこずるようだ。言われたとおりのことをするのは得意だが、自分でテーマをもてと言われるのは苦手。
学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔の能力は低下する。
~中略~
昔の芸術家が学校教育を警戒したのは、単なる感情論ではなかったと思われる。飛行機を作ろうとしているのに、グライダー学校にいつまでもグズグズしていてはいけないのは、はっきりしている。
今でもプロ棋士たちの間に、中学までが義務教育になっているのがじゃまだとはっきり言う人がいる。一番頭の発達の速い時期に、学校でグライダー訓練なんかさせられてはものにならない、というのであるらしい。
~中略~
グライダー能力が圧倒的で、飛行機能力はまるでなし、という”優秀な”人間がたくさんいることもたしかで、しかも、そういう人間も”翔べる”という評価を受けているのである。
 学校はグライダー人間をつくるには適しているが、飛行機人間を育てる努力はほんの少ししかしていない。学校教育が整備されてきたということは、ますますグライダー人間を増やす結果になった。お互い似たようなグライダー人間になると、グライダーの欠点を忘れてしまう。知的、知的、と言っていれば、翔んでいるように錯覚する。
 我々は、花を見て、枝葉を見ない。かりに枝葉は見ても、幹には目を向けない。まして根のことを考えようともしない。とかく花という結果のみに目を奪われて、根幹に思い及ばない。」

上記部分は、まさに!です。
どこでもついていく従順さ
これは感染騒動で証明されました。義務教育で育った教師が従順に「あの感染対策」に従い、子ども達にもそれを強いたのです。3年間という長期に渡るマスク生活をはじめとする対策が、子ども達に与えた悪影響は消えることはありません。接種で亡くなったり、副作用や後遺症などに苦しんでいる子、いまだにマスクを外せない子ども達がたくさんいるのにもかかわらず、総括も子ども達への謝罪もしていないのです。近頃、発表された「小中高校生の自殺が過去最多となった」原因の1つだと思います。

まして根のことを考えようともしない
教師だけではなく、多くの大人が、そもそも感染騒動自体=「根」が何なのか?誰が何の目的で行ったのか?など、調べも考えもしなかったのでしょう。
自分のことばかりで、大人が皆マスクをしていれば子ども達も外せない。その悪影響がどれほどのものか、ということ、「皆が外せば私も外す」という思考が、99%マスクという異常な社会を作った原因だったこと、マスクをする=騒動を仕掛けた側の思う壺、ということ、「子ども達のために、まずは大人が外そう」ということにも「思い及ばない」大人がほとんどでした。

寺子屋は、グライダー人間ではなく、飛行機人間になる=「自分の力で生きていけるように」、ということを目指して立ち上げ、運営を続けています。正解を覚えるのではなく、考えること、考える力を養うことを重視しています。

「学ぼうとしているものに、惜しげなく教えるのが決して賢明ではないことを知っていたのである」
「今の学校は、教える側が積極的でありすぎる。何が何でも教えてしまおうとする。知識を与えるのに有能であればあるほど、学習者を受身にする。」「本当の教育には失敗するという皮肉なことになる」「意欲をそぐ詰め込みが悪いのである」
「漢文の素読では、意味を教えないのが普通で、だからこそ、素読というわけである。
意味が気にならないわけがない、早く意味もわかるようになりたいと思う心がつのる。教えないことが、かえっていい教育になっているのである。」
「好奇心をはたらかせる前に、教えてしまう」「親切がすぎて、仇になっている」

これらも氣をつけないといけないことだと考えています。

「学校がどんどんグライダーを社会へ送り出すから、グライダーが溢れる。飛行機はグライダーにとって迷惑な存在である。」

典型的な例は、感染騒動の時にマスクをしなかった人に対し、迷惑がっていた人や「マスク警察」がいました。

「学校はコンピューター人間を育ててきた。しかもそれは機械に負けてしまうコンピューター人間である。機械が人間を排除するのは、歴史の必然である。」
「人間は自分の作り出した機械に仕事を奪われる歴史を繰り返してきた。ただ便利になったと言って、喜んではいられない。」

人の仕事を、「経済的利益のため」に機械に置き換えて、私達が幸せになるのか?良い社会になるのか?考える必要があると思います。

「記憶と再生がほとんど教育のすべてであるかのようになっているのを、おかしいと言う人はまれであった。この教育観は、根本から検討されなくてはならないほず。」

私は、おかしいと思うから、寺子屋を立ち上げたのであり、現在の、テストや受験で良い成績を取ることが優秀で素晴らしい、という評価基準や、「義務教育に行くのが当然」「学校に行けないのは良くないこと」という考えは、改める必要があると思います。あの異常な感染対策をしていた学校に行かない選択をできた子のほうが、まともな感覚・感性を持っているのではないでしょうか?不登校は決して悪いことではありません。

「考えることは、生まれたときから続けてきたことであり、本来は知識がなくても可能なことである。あらゆることを自分の感覚と思考によって、理解、解決しなければならない。
この最高の知的活動を幼い時は無意識でやっているのに、知識を身につけたために、そういう能力を捨てざるをえなかった。成長とともに、知識が増えてくると、忘れることもできないし、新しいことを考えることもできないという、まずい知的人間ができあがる。しかも、教育は高等教育になるにしたがい、知識が細分化され、専門化され、自分の頭を縛ってしまう。自由にものを考えることを極めて困難にしている。」

上記は、寺子屋が進学を目的としていない理由の一つです(進学がダメという意味ではありません。進学を希望する生徒には、それ向けの対応をします)。
将来の進路にもよりますが、この時代に高校・大学に行く意味がどれだけあるのか?
学校教育を受けた期間が長ければ長いほど、自力飛翔の能力は低下
グライダー学校にいつまでもグズグズしていてはいけない
と書かれているように、逆に弊害があるのではないか?ということです。

「幼児期は自ら考えていたのに、学校に通う時期になるといきなり知識一辺倒になる。失ってしまった幼少の頃に持っていた能力を、もう1回何らかの形で生かせば、コンピューターを凌駕して社会を動かす原動力になるはずである。」

同感です。やはり、根本的に義務教育・学校教育・校則など見直す必要があると思いますし、”機械にはできない能力こそ価値がある時代”になるのですから、それを身につけたり、磨いていく学びが大切だと考えています。

ほんもの寺子屋は、原則、テスト・通知表・宿題・校則・制服などがありません。
義務教育の校長先生にも、「学校を寺子屋に寄せていったらいかがですか?」と直接提案しています。

これまで補助金や助成金無しで運営しており、昨年から寄付の募集を始め、多くの皆様にご支援をいただいているおかげ、同じ想い・志を持つ講師の皆様など、多大なご協力をいただいているおかげで継続できています。
この場を借りて、心より感謝申し上げます。本当にありがとうございます!

私は、「八方良し」を目指して、活動を続けていますが、八方=「作り手」「売り手(繋ぎ手・傳え手)」「買い手」「環境」「地域」「日本」「世界」「未来=子ども達」の中で、一番は”未来=子ども達”のためであり、その想いが、私を突き動かしています。

※政府が本格的に言論統制を始める(参考動画)ようなので、今のうちに色々書いておこうと思います
FBをやっていない方は、店のブログ(記事)のほうでご覧ください

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