「まなざしの革命」ご紹介、10回目です。
「必ず死ぬことがわかっているからこそ、その時がくるまでいかに生きるのかが私達の人生の中身を決める」
→私たちは全員、致死率100%。その中でどう生きるのか?
「問題は常に発生する。問題とは解決すべきものではない。問題から解放されるべき。
本当に解放する革命とは、自らを解放すること。誰かや何かに対して変革を迫ることではなく、社会的な価値観や常識、欲や恐れに取り憑かれている自らのまなざしに革命をおこすこと」
→とても重要なことです。
同じことが起きても問題と思うかどうかは、その人次第。問題と思わなければ、問題ではなくなります。
「問題の原因を外側にばかり求めようとする。
無力を決め込み、何かを誰かのせいにして、自分は助けてもらうべき被害者であるという態度をとってしまう」
→「無力を決め込み、何かを誰かのせいにする」これはとても大切ですね。他人のせいにしないこと。
「私達が何もできず社会を変えることができないのは、自分が無力であると思い込むことを積み重ねてきたから
変わることを諦めてきた結果を今受け取っている」
→そのとおり!です。変わらない理由が自分にある、ということを自覚することから。
「最も難しいのは自分自身について見つめること。何かにまなざしを向けるには、その対象物との間に距離が必要だから。
私たちは自分自身に対してことまなざしを向けねばならない。自分自身に真摯にまなざしを向ければ、本当は自分がこれまで見たいような自分しか見てこなかったことに気づく。常に問題を外に求める自分など。」
→他人の欠点は良く見えるが、自分は見えない。他人を批難(批判ではなく)したり、変えようとするのではなく、まず自分が行動・実践すること。
「見たい自分や見たくない自分を綺麗に正当化してくれる声に引き寄せられていると、私たちは都合の悪いものを自ら選択していることにも気づかず、引き返せなくなるかもしれない」
→マスク・接種だけではなく、デジタル化・ネット依存も危険。
「私たちは善良であるだけではなく、聡明でなければならない。聡明であるということは「気づいている」ということ。自分自身のまなざしに気づいていること同時に、他者の悪意や世のカラクリ、人の心理に奥底にある無意識に気づいているということ」
「私達が備えておかねばならないのは情報ではなく「世界の見方」であり、自分自身の「見方についての見方」」
→これからの世を生き抜いていくには、世界のことも自分のことも知る必要があります。
「本当に必要なのは、誰かの救済を待つことでも、誰かを正すことでもない。自らで自らを診断し、自らの内にある問題の原因を突き止めて治療し、自らを救済すること」
→問題は外や他人ではなく、自分自身にある、ということ。
「革命とは今の社会の在り方に問題を感じ、それをより良く変えることだとすれば、今の社会に巻き込まれずに距離を取ることから始めねばならない。人から距離を取る社会的距離(ソーシャルディスタンス)ではなく、常識や概念といった多くの人が共有する社会的な見方からの距離」
「一人一人の誰もが今の社会の理不尽さに加担することや、過度に何かを恐れることから離れる」
→誘導されないこと、慣れさせられないことが大切。
「自分だけではなく周りの生命の利益と幸せを考えること。日常の生活の中で淡々と自分のすべきことを行なうこと。どんな問題が起きても恐れずに協力し合い、そのときその場を明るく乗り切って生きていくこと。そうした当たり前のことをする方が、拳を振り上げて起こす革命よりも大きな力を持つのではないか。」
→この当たり前のことができていない結果が今の社会。逆に小さなことで、他人を遠ざけることが多い。分断の仕掛け・工作に嵌っています。
「世界中の人々が、理不尽な秩序を押し付ける社会から距離を取ることが本当の革命
誰がこの状況を生み出したのか、誰がこの社会を支配するかは問題ではない。私達自身が、どういう心で、どういうまなざしを世界に向けて、どんな原因をつくるのかの方がはるかに重要」
→よく「誰が何の目的で?」と聞く人がいますが、前記のように黒幕は表に出ません。
依存から抜け出し、従わなければ、支配や搾取を終わらせることができます。
「世界を変革させる代わりに、まずは自分を変革し、自分のまなざしに革命を起こすことが真の解放の第一歩
それを受け入れたときにはじめて私たちは、自分がそれほど弱い存在でも無力な存在でもないことが見えてくる」
→無力だと思っているうちは、変革は起こせないでしょう。無力と思ってしまうのは、洗脳であり、思い込みです。
「こんな文章を書いて世に出せば、今までいい関係を築いてきた知人の半分以上を失うかもしれないという考えは何度も頭をよぎった」
→私も3年前からの投稿で離れていった人がいますが、覚悟の上。子ども達や命を守ることが優先です。
「相手からまなざしをデザインされていることへの警鐘を鳴らした」
→コントロールされてきたことを自覚し、皆が自分自身の意思を尊重して生きられるように。