「まなざしの革命」ご紹介、2回目です。
「日本の場合は立法府である国会議員の中から行政府である内閣が選ばれるから、実質的には二権分立」
→三権分立は建前であり、実際は違うという重要な指摘
「法律をつくる役割を議員に担わせておきながら、愚かにもその成立や廃案のプロセスに関われないシステムを採用している。法律には私たちの自由に大きく関係することが定められているが、それを私達が直接決めることができない仕組みになっている。しかも法律が一度成立してしまえば今度は権力が政府の方へと移り、私たちはその法律を遵守しなければ取り締まられる側となる」
→権力にとって都合が良いシステム=私達にとって都合が悪いシステム、で物事=生活が決まってしまう。
「そのような法案を提出するのかは、その場に入り込めた組織や企業や個人といった一部の人々の利権と結びついている。利益や野心のために法律を利用する企業の動きは露骨になり、多くの国民に不利益な状況を生じることがわかっていても、一部の企業の利益のために法整備されてしまうこともある」
→原発・コロナだけではなく、全分野で利権優先の政治が行なわれています。
「憲法を無視してまで政府が権力を発動するような状況は、民主主義にとって本来は非常事態である。政府の勝手な都合で、基本的人権がどんどん制限されることが許されれば、何が起きるだろうか。移動や行動の自由が奪われ、私たちがはなしていいことならないこと、考えていいこととならないことのような、内面の自由に関わることまでに及ばないという保証はない」
→國部教授の「ワクチンの境界」の記事で書いたように、すでに権力に内面まで進入されています。
「哲学者アガンベンは、パンデミックから人々の命を守ることを前提に、政府が強い権力を発動して私権や基本的人権を制限する状況が常態化するのを強く警告している。常識が通じない「非常事態」というより、異常事態」
→私は「異常事態宣言」を3年前から発令していました。恐ろしい事態が続いています。
犯した間違いを反省し改めなければ、また次の計画で人権や自由が奪われる事態になるでしょう。
「常識ではなく常に正しい認識はないという「無常識」こそ本来は拠り所にすべき」
→今の常識はシステムに都合良く作られたものですから、それに従っては悪化するばかりです。常識に囚われないことが大切。
「多数派か少数派かを正しさの判断基準にしない。
「多くの人の当たり前が正しい」ではなく、「正しいことが多くの人の当たり前」であるべき」
→当然のご指摘です。多数派だから正しい、という非論理的な暴論がまかり通っている現在はとても危険な状況です。
「そもそもかつてなかったほどの緊急事態であるのか。憲法を無視し民主主義を壊して国家権力を発動せねばならないほどなのだろうか」
→インフル以下の風邪が緊急事態であるはずがありません。憲法無視などもってのほかです。