2月28日の投稿で、藤井真則氏の「コロナ禍の真実と次に来るもの」をご紹介したところですが、また素晴らしい本に出逢いました。神戸大学教授・博士の國部克彦氏の著書「ワクチンの境界 権力と倫理の力学」です。ワクチンを批判する本ではなく、今の日本が第二次世界大戦中と同じく全体主義に陥ってしまい、自由や人権が奪われている重大な危険性を指摘し、それをどのように克服していくか、私たちはどうしたら良いか、を記しています。今まさに戦時中の日本。ぜひ読まれることをお勧めします。
今の日本の現状で、私達がどうしたら良いか?
結論を言えば、講演会でもお傳えしてきたように「すべて逆」ということです。
従わないこと、誘導されないこと。それを一人一人=皆でやることが最大の力を発揮する、最良の方法です。
具体的には、100円ショップ・キャッシュレス・デジタル化・スマホ依存・マイナンバーカード・コオロギ食・クスリ・マスク(花粉症など特別な事情がある方は除く)・接種・アルコール消毒やパーテーションなど間違った感染対策・減塩・白砂糖・電子レンジ・ネットショッピング・大企業製品の購入・病院通い・検査(一部を除く)・人間ドッグなどを極力しないこと。
國部教授に許可をいただいたので、2回に分けて内容を一部ご紹介します。「」内が引用文です。
「ワクチン接種について、マスコミも支持、SNSに至っては、支持するだけではなく、ワクチンに対する批判や疑問を投げかける投稿を次々と削除。
国民の間で開かれた議論は、世界のどこを見てもまったくなされませんでした。
マスコミも異論をデマと称して議論を封じるように動きました。」
→言論統制・弾圧、非常に危険です。
「マスク未着用者や非接種者は、それだけで社会的批判を浴びるようになり、国に行動を制限されることも常態化」
→全体主義・同調圧力と人権侵害
「対策は必ず負の効果も伴いますから、常に検証をしながら進めることが求められます」
→当然のことが行なわれていません。
「全体主義は、1つの正しい考え方のもとで全体をまとめ、その考え方に従う人々と従わない人々との間に境界線を引き、従わない人々を徹底的に排除するように動く」
「そして人々は分断されてしまい、社会はその支配的な考え方を修正する手段を失い、最後は甚大な被害をもたらすという事態を人類は何度も経験してきた」
→マスク常用が定着し接種開始後に超過死亡激増。まさにこの3年間に起きたことです。
「感染症対策をしているつもりが、全体主義の傾向が強まっているとすれば、感染症そのものよりも危険」
→間違いなくコロナよりも全体主義のほうが危険です。
「権力が特定の倫理を押し付けてくる場合には特に注意が必要。
「あなたのため」「社会のため」というように、簡単には否定できず、すぐに信じてしまいそうな言葉を伴って、人々の心の中に入ってくる。気がつくと自分自身の内面の深い所まで権力に進入されていたということになりかねない」
→これも、まさに!ですね。
「権力が内面から人間を管理するようになると、人間は思考を停止し、指示に従う機械のようになってしまう。
ナチスドイツでユダヤ人虐殺を指揮したアイヒマンは極悪人ではなく、思考を停止して指示に従っただけの凡庸な人間。このような態度と行為こそが全体主義の根源にある。人間の「凡庸さ」の中に潜む「悪」」
→私も、「思考停止。ロボット人間」「従ってはいけない」と指摘し続けてきました。
「一旦進みだしてしまうと、その方向が正しいか否かについての疑問までも封じ込めようとします、まさに全体主義的な傾向」
→昔から指摘していましたが、「始めると止められない」のも日本の治療が必要な点です。典型的なのはリニア。
「問題は、信じたことが正しかったか間違っていたかではなく、誤った根拠にもとづいて信じたかどうか。
信じたことが結果的に間違いであれば、そのことによって必ず何かの被害が発生します」
→これも重要な点です。誤った根拠にもとづいて接種、その後死亡した方が多数。
「科学者はデータから学術的な結論を出して論文を書く行為については専門家ですが、その結論から実際の行動を判断する専門家ではない。科学者はデータからすぐに結論を出したがるが、それは学界という失敗の許された世界での話。その調子で実社会の問題について何らかの判断を下すことは、簡単に信じてしまう人間が多い世の中では危険。科学者という狭い範囲では専門家かもしれないが、実社会では誰もが一人の素人にすぎない」
「「ワクチンのメリットがリスクを上回る」という定番のフレーズは、専門家が決めるべき問題ではなく、社会が決めなければならない問題」
→医師・医療の専門家という政治や社会について素人の意見で政策を決めてきた結果、大惨事となった=人災
「新型コロナワクチンは人間に直接注入される遺伝子ワクチンですから遺伝子組換え食品よりも重大な問題」
→遺伝子組換え食品は買わないのに、自分の身体に直接入れるという理解不可能な行動
「治験が終わっていないので安全性が確認されていない、と、長期的な安全性がわからない、はデマというよりも事実」
「政府機関の提供する「正しい情報」を信じることが社会的に正しい行為であると考えるようになると、思考を停止した「凡庸の悪」が生まれてしまう。政府を支持するマスコミの論調は「凡庸な悪」を生み出す装置」
「ワクチンに関する基本的な疑問までをデマと切り捨て、疑問を持つ人を陰謀論者というレッテルを貼って排除し、「正しい情報」を普及させようという行為は、科学ではなくまさに異教徒を弾圧する宗教と酷似」
「政治家は、自分の権力に都合の良い学者や学説を採用するようになり、行政もその指示に従う。一切の批判を許さずにワクチンを擁護する専門家の行為は政治的行為」
「マスコミは完全にワクチン支持で一致。それどころか感染症の恐ろしさを強調する形で報道して国民に恐怖を植え付け、ワクチン接種後死亡や副反応については、ほとんど報道しないという偏向した姿勢が顕著」
「専門家・政治家の中にも、現状に対して疑問を持ち批判する人達もいます。しかし大多数は、正面から議論することを回避し、彼らの発言をデマと決め付け、さらには陰謀論者というレッテルまで貼って排除しようとしてきた。大半の国民もそれに追従」
→大臣がデマを言って、大臣が事実をデマと言う。それを追及しないマスコミ・国民。陰謀論という言葉に騙される。それが日本。
「マスコミの本質は社会の批判勢力でもなんでもなく、権力の補完勢力にすぎず、営利企業としてのマスコミにワクチンを含む感染症対策の問題の究明を期待することはできません」「経済界そのものがワクチンの最も強力なサポーター」
→原子力村と同じ医療村 政官財司報学が利権を貪る
「企業が組織化されると、人間よりも利益追求のほうが優先に。人間は取替えが効きますが、利益は出なければ存続できないから。経営者の人格の問題ではなく制度の問題」
→私がいつも言っている「組織を大きくしないほうが良い」理由。
「感染症対策やワクチンをめぐる現実は、明らかに人類を一定方向に導こうとする力が働いている。匿名の権力がシステムとして作用している結果」
「権力は特定の誰かの所有物でhなく、社会的な関係の中に存在している。権力がシステムによって行使されている。厳しい制裁の手段もなしに容易に達成できることは、上が下を従わせようとする力よりも、下が上に従おうとする力のほうが大きいことを意味する。近代社会の権力の特長は、人間の内面から生じている。」
→現代の権力構造。
「下が上に従おうとする力のほうが大きい」「人間の内面から生じている」というのは、とても重要な指摘。
医療村の問題よりも、私達の行動=従ってしまうことに問題がある、
「暴力で痛みつけて従わせるのではなく、監視して規範に従うように訓育し、違反者を矯正させることで内面から規律づける=規律的権力。試験は典型的な装置の一部」
→義務教育がロボット人間を大量生産している
「人口の増減を人為的に調整することを目指して、医学、工学、統計学、経済学などを駆使し、それを支援するテクノロジーを動員する権力を「生権力」と呼ぶ。」
→どんどん管理社会に誘導されている
「近代社会では、規律的権力と生権力が、重なり合う権力テクノロジーとして作用している。これらは、目に見えない権力として、私達の行動を非常に深い部分で拘束している。例えば、健康診断は、病状がない人間を病気にすることで医療行為の対象とする生権力と規律的権力の戦略。生権力は「あなたの健康のため」という否定できない言葉を使ってくるので、普通の思考をしている限りは簡単には抵抗できない。抵抗するどころか、健康診断の数値に一喜一憂する姿はまさに飼いならされた動物そのもの。これは生命や健康という人間の最もプライベートな領域への権力の侵入。公と私の境界が権力によって書き換えられていくことを意味する。」
「生命や健康だけを重視するということは、人間の尊厳である精神性を排除してしまう危険性を持つ
人間の尊厳が少しづつ切り崩されていくことに自覚的でなければならない。尊厳は自由と同じで一度失うと簡単には元には戻らない」
「生権力は、病気から人間を守ることが目的のように見せかけて、人間を最も深いところから統治することが目的。むしろ病気を作り出して、それを治療するというマッチポンプ的なプロセスを通じて膨張してきた。「早期発見・早期治療」はその典型。
人類が定期的にワクチンを接種してウィルスに備える生活になれば、生権力はまた一つ人類を統治する武器を手に入れたこといなるので、ウィルスを撲滅するよりも大きな成果を得る」
→無自覚に権力に内面まで侵入され、考えや行動が支配されている
「感染症・ワクチンをめぐる議論は徹底的に封じ込められた。民主主義国家においても「国民主権」はただの絵空事であったことが明らか」
「例外状態を通じて、国家は政治的な反対派や市民団体を排除することが可能となり、権力を強化した新たな正常状態を定義することができる。例外状態が正常状態として存続してしまう」
「日本では「自粛警察」というマスク着用や飲食店の感染対策を見張る人まで現れた」
→日本は民主主義国家ではなく、全体主義国家。
「健康や延命を理由にすれば、人々はどんな権利の制限でも受け入れるということが分かってしまうと、生権力はそこからどんどん勢力を拡大していこうとする。
生権力は生活の非常に深い部分まで侵入してきて、私達の一挙手一投足まで管理しようとしている。」
「生権力に抵抗するのが難しいのは、「規範」(科学的+社会的が複合)を生み出して、それにより社会を統治しようとしているから」
→マスクをするかどうかなど、行政や政治家、学校、店からお願いや指図されることではないのに、お願いという名の強制=憲法違反・人権侵害が日本中で行なわれました。
「一人ひとりの内面が戦場になっている。
生権力はシステムを作り上げ、私達は誰もがその一部として組み込まれてしまっていて、私達の自由と引き換えに、生きる糧や地位も提供してくれる。人間はシステムから離れては生きていけないのではないかという恐怖から、必然的にシステムにしがみつくようになっています」
→私が約5年前の「八方良しを目指して」の発売記念講演で、「すべては仕組まれている」と言いました。
依存させられて、抜け出せないと思わせる。
「生権力は、政治家、役人、科学者、専門家、経済人などを使って機能する。人間はシステムの中で役割を演じている役者にすぎない。演じることでシステムから生活の糧を得ているので、全力でシステムを守るように動く。
代役はいくらでもいるので、指示に従わない役者は交替させられる。これが匿名の権力システムの正体」
→これも大変重要な指摘です。支配の根幹。その社会の中で、どうしたら良いか?
「システムに民主主義のプロセスに従って抵抗しようとしてもまず成功しない」
「政治家や役人に陳情しても、彼らはシステムの一部を構成する役者ですから、ほとんど効果はない。
仲間を集めて議員に立候補しても、システムの支援がなければ当選するのは非常に困難。
議会に少数の議席を確保できたとしても、システムによる多数決の原理で簡単に否決される。
科学者が、生権力の主張を擁護する理論の不備を発見し、論文として発表しても、黙殺される。
→国民はシステムに対して、制御する手段を持ち合わせていない
問題の本質は、人間ではなくシステムですから、政治家や専門家を批判したり、製薬メーカーに抗議しても何も変わりません。」
→私が選挙に出ない理由。政治家になるよりも有効な方法をすでに実践して結果を出しています。
「健全な批判システムであるべきマスコミも、システムの一部ですから、システムの根幹を揺るがすような批判は絶対にしません。そんなことをすればシステムの外へ追放されることになるので、健全な批判までも封じ込める側にまわっています。」
「権力を守るために、権力者はなりふり構わぬ動きに出ることがある。本来、思想信条の自由や表現の自由は民主主義国家の最高の規範のはずですが、それすらも踏みにじって、自らと異なる意見をデマとして封じ込めようとしているのはその現れ。多くの国民はそこに同調圧力を感じとって、自分自身の疑問を口に出すことさえ抵抗を感じるようになってしまっている。これは重大な人権侵害が進行していることを示している。」
→ジャーナリズムがまったく機能していないため、沈黙は事態の悪化を招くため、私が2020年から約2年、毎日欠かさず投稿をしました。
「何らかのリスクを特定してそれを管理の対象とすると、それ以外のリスクが対象から外れて、想定外のリスクの増加に歯止めがかからなくなる」
→感染症対策により感染症よりも甚大な被害が生じた日本の現状そのもの
「ナチスに加担した人々は、根っからの悪人であったわけではなく、自分自身で思考することなく、ただナチスに従っただけ。思考停止して何かに従う行為そのものを「凡庸な悪」と称し、これこそが全体主義の正体。
同調圧力に屈することは、それだけで全体主義につながる悪になりえる危険なこと」
→日本を守るため、全体主義に加担しないためには同調圧に屈してはいけない。私が約3年間、24時間365日ノーマスクを貫いてきた理由の1つ。
「「凡庸な悪」と「善」を分ける境界は、自分自身で考えるかどうか、判断の基準を自分の内部に持っているかどうか」
「人類最後の希望のために必要な行動は、自分が納得できない場合はシステムに協力しないことが最も効果的な方法。たった一人の抵抗運動が燎原の火のごとく広がり、社会が変わることはよくある。
「十分な数の人々が、指示を拒んだならば積極的な抵抗や叛乱なしでも、統治形態にどのようなことが起こりうるかを一瞬でも想像してみれば、どれほど効果的であるかお分かりいただけるはず」
→自分の頭で考えること。従わないこと、が重要。
「自分にとって望ましくないと思ったら、誰がなんと言おうと、頑なに拒否を貫くだけで、賛同者が必ず現れてきます」
→この3年間、私が体験したこと。
「非組織化された動きに対処することが、システムは一番苦手。
自分が持っている不安を世界に訴える、不安は堅牢なシステムにひびを入れる効果がある。不安は他者も持っているはずだから、共感の連鎖がシステムに抵抗するときの武器になる」
→全国組織の政党を作ったり応援するよりも、一人一人の行動や実践のほうが大切。
「権力は常に拡張を志向する。それ自体は批判の対象ではなく、問題は押しとどめようとする力が十分あるかどうか。拡張する圧力のほうが強い。そのせめぎあいの場は、社会ではなく、人間の精神や身体という私達の内部。
権力による私達の内部への侵入をどこまで許すのかという境界をめぐる問題」
→権力の私達の内面への侵入が起きている。許してはいけない。
「社会を維持するためには少数は犠牲になっても良いのか?これは科学でも経済の問題でもなく、倫理の問題。この点についての議論を科学者や経済人に任せることは絶対にできない」
「科学的根拠の乏しい政策を採用し続け、マスクによる健康被害や人流抑制による経済被害などの二時的被害を発生させた」
→医師や医療専門家という素人が、政治・社会問題である感染対策を決めてはいけない。
ましてや御用医師・御用専門家なら、なおさらのこと。
「他者のためにリスクを許容せよというのは、自分も相手にとっては他者の一人なので、自分のために相手にリスクを許容しろという、最も利己的な行為」
「ワクチン接種を他者が決定することは、個人が自分自身の命の価値を決める権利を奪うことですから、重大な人権侵害。それは一つの価値観の強要であり、全体主義の特徴。
確定的な証拠もなく、十分な議論をすることもなく、人権を制限することは許されるべきものではない。」
→マスクや接種のお願いという名の強制は、人権侵害、かつ最も自己中心的な行為。
「人間にとって一番大切なことは、どのように生きるかを自分で決めることのできる権利。どのように生きるか=人間の尊厳」
「尊厳は、生物として命を超えたものですから、命だけを守ろうとすると尊厳はどんどん毀損されていき、どんどん動物に近づいていく。」
→最も大切なものを奪われていることに氣付いていない危険な状態。無抵抗では、奴隷どころか家畜にされていきます。