本日で10月も終わり、なんと今年もあと2ヶ月。
前回の記事にも書いたように、明日11月1日~4日は、2階ギャラリーで「輪島の漆器展」と「魔法の箒展」を開催します。
本日、展示会の準備を整えました。
地震と水害の二重被災という困難の中、職人さんが4日間毎日在廊してくださいますので、直接お話をしていただければと思っています。
「輪島まではなかなか行けない」けれど「甲府なら行ける」、という方は多いと思います。ぜひ応援にいらしてください!
1階ショップでは、干支「巳」・クリスマス・お正月・秋冬のインテリア(暖簾・タペストリなど)、いよいよ鍋の季節になりますので土鍋、冷え対策の品々(ブーツ・マフラー・ストール・帽子・レッグウォーマ・アームウォーマ・ルームブーツ・靴下・0円暖房の椅子)など、取り揃えてご来店をお待ちしています。
※サーバーの不具合で昨日までの2~3日の間、HPが表示されなかったようです。申し訳ありませんでした。
7月に投稿した「輪島へ行ってきました」
http://www.hosaka-n.jp/blog/cat01/7245.html
に書いたとおり、元旦の地震でただでさえ大変な状況だったのですが、9月に豪雨災害で二重被災となってしまった輪島。
長年ご紹介してきた、11月1~4日に開催する「輪島の漆器展」の工房も地震で大きな被害を受け、仮設住宅にお住いでしたが、水害で浸水して、仮設住宅にも住めなくなってしまいました。
とても大変な状況ですが、輪島から甲府に来てくださるので、ぜひ皆様に応援をしていただければと思っています。
11月1日の食事会は満席となりましたが、2日にギャラリーで午前9時半~10時半に開催するお話会
http://www.hosaka-n.jp/news/7276.html
はまだお申込み可能です。10時半~は、そのまま展示会をご覧いただけます。
地震で駄目になってしまった品もありましたが、救出できた貴重な品をお持ちいただきます。一般的な漆器とはまったく次元が違う、「感動しました」というご感想をいただく、「本物でしかできない体験」を味わって、一生モノではなく「代々モノ」でご愛用ください。扱いが簡単で特別なお手入れは不要で、使えば使うほどピカピカに綺麗になっていき、使うことや洗うことも愉しみとなります。
また、超人氣(一時は3年待ちになった)の「魔法の箒」も究極のエコ商品で、電氣代が高くなっている昨今、電氣代0円ですから経済的です。絨毯も掃けて掃除機よりもゴミが取れるということで、普通の箒とはまったくの別物です。
http://www.hosaka-n.jp/scheduleofexhibitions/#article_7273
1階ショップでは、
干支「巳」展
http://www.hosaka-n.jp/scheduleofexhibitions/#article_7288
の開催に加え、クリスマスやお正月向けのインテリア商品(置物・タペストリ・暖簾など)や土鍋などもご用意しています。
これからの季節は、特に冷え対策の品々が毎年大好評です。
ブーツ・ルームブーツ・レッグウォーマ・アームウォーマ・マフラー・ストール・帽子・靴下・手袋・0円暖房の椅子・奇跡のベッドなど、暖かく健康にお過ごしいただくための逸品が揃っています。
私が主宰してい勉強会(読書会)で、仲間が選んでくれた本が「独立国家のつくりかた」。
想像を超えて良い本でした。本質を突いているからです。
自分では買わない本を、ある意味強制的に読まされての学びですが、こういうことがあるので、改めて「自分が学びたいことだけを学ぶのではなく、他者の勧めを素直に受けて学ぶことも大切」と思いました。
この本を読むと、「考えること」がどれほど大切か、生死や人生に直結している、ことがわかります。だからこそ、日本弱体化のために暗記・詰め込み型の「考えさせない教育」がされているのでしょう。
日本は自殺が多いのも、「考えられない」ことが1つの原因と読み取れます。
ほんもの寺子屋は、義務教育とは真逆で、「考えること」を重視した授業を行っていることの重要性が浮かび上がってきます。
今の日本を的確に分析・表していて、私が考えていること、やってきたこと、やっていることを書いてくれた内容で、後押ししてくれたように感じました。以下にご紹介します。(・が本の文、→が私の感想)
・仕事というのは、お金がかからない生活ができたとして、それでもずっと続けていたいと思うことをやるべき。
→やっています。「志事」ですね。
・政治や行政は命を助けてくれる機関ではない。匿名化されたシステムなので、人間の感情というものは期待できない。命にかかわる対応は感情がないとできない。
→人間味がある対応ができない原因ですから、とても重要なことです。現代日本の仕組みに問題があることがわかります。
・匿名化したシステムの内側にいるかぎり、考える必要がない
→考えなくてもよいから、考えなくなるという悪循環。
・匿名化したシステムでは、考えなくても生きていけると思わせておいて、実は考えを削除されている
→意図的にやられているということ。
・常識は怖い。普通の思考を僕たちはできなくなっている。常識というのは、文句を言わないようにというおまじない。おまじないから解放される必要がある。それは「考える」という抑制によって実現する
→異常なこと(例 感染対策)が常識となった現代では、本当に怖いし、解放される必要があります。
・生理的におかしいことを受け入れてはいけない。疑問として、自分の手前でとどめておかなくては駄目。体内に入れて咀嚼してしまったら、自分が駄目になってしまう。
→講演会でもお話しているように、どこかで線をひかないと、どんどん誘導されてしまいます。マスクもしなかったのは、まさに「生理的におかしい」ので、受け入れませんでした。
・面倒くさいから考えないだけ。問題がないのではなく、問題とみなしたら大変だから、問題がないことにしているだけ。見て見ぬ振りをする、臭いものにフタをする
→日本の病理の一つでしょう。
・人生はやり直すことができない。だからこそ、今、本当に何をやるのかが問われている
→その通り!
・誰かがやってくれないかではなく、自分が動く。
危ないものは危ないと思うことができ、人に危ないと伝えることができ、手を差し伸べること
→私がやってきた、やっていることだから、嬉しかったです。
・やりたいことは無視して、自分がやらないと誰がやる、ということをやらないといけない。
→寺子屋はまさにそう。誰もやらないので創りました。
・好きでやっているとか、そんな動機じゃない。もっと切実な動機でやっている。こんな大人達に任せては大変なことになると思った。自分がやらなければならないと心に決めた。自己実現ではなく社会実現に向けていく
→これも同感。まさに社会実現を目指しています=「八方良しを目指して」。
・生きるとは死ねないこと。死ねない環境をつくる。これが「生きる」ということ。
→確かにやること・やりたいこと多すぎで死ねない(笑)。
・断定が思考。今の社会は断定を恐れる。それは無責任。今は無責任社会。腐ってしまうのは当たり前
→本当に日本の現状ですね。腐った原因の1つ。
・僕は今、妻と娘と3人家族なのだが、お金のために生きないので、もしかすると所持金が0円になる可能性もある。その時は堂々と河川敷に行って、0円ハウスを建ててそこで路上生活を家族とすることに決めている。妻もその覚悟でいる。だから、お金が0円になったって氣にしない。
→奥様も覚悟があるのが凄いし、素晴らしいですね。今は、「覚悟」がある人が昔と比べ、とても少ないと思います。
昔は死が隣り合わせだったり、戦争を経験したからかと。
・燃料はお金ではなく、ひたすら社会実現をしようとする態度。だから永遠に枯渇しない。エンジンを自分の欲望にすると、それが達成されたら車は止まってしまう
→確かに。鋭い視点。私も社会実現だから枯渇せず、長年続けています。
・自分一人では補うことのできない部分を、他者を自分の中に取り込むことで、一つの融合体をつくる
→助け合い、協力することが大切、これも私がいつも言っている話です。
・市民が政策を提案し、自らで実現。それを行政に見せることで納得させ、自治体の政策として組み込ませる。
→寺子屋がこれです。中学の校長先生に「学校を寺子屋に寄せていってください」と直接言いました(笑)。
・僕たちはある意味では悲しいかな奴隷である。そこから抜け出さないといけない。非暴力・不服従の精神。
→この本は2012年初版ですが、その後のコ口ナで奴隷ということがはっきりしました。
講演会でお伝えしえいるとおり、「逆をやれば良いので、わかりやすくて、簡単」です。「不服従」=従わない、奴隷にならない、「時代」に流されないこと、がとても大切だと考えています。
1週間後の27日は選挙ですね。
選挙は、私達を分断する手段の1つであり、分断が目的ですから、それを理解して嵌らないようにしましょう。圧倒的多数の私達が結束して動けば「ひっくり返る」ので、あらゆる手段で「分断と対立」をひきおこしています。
また、「何をやっても変わらない」というのも洗脳です。
選挙に限らず、すべての分野で自分で自分の首を絞めるマイナスの選択をしてきた結果が現状です。私は、皆で行えば確実に引っくり返せる方法をお傳えしていますが、選挙も大切な選択です。
日本は、政治的な発言を避けたりタブーとする異常な社会で、そこを変える必要があります。
政治=生活ですから、生活を良くしたければ、政治に関心を持ち、おかしいことはおかしいと声をあげたり、伝えることが大切です。今の現実は、私達国民の「無関心」「勉強不足」「沈黙」「あきらめ」の結果を受け取っているのです。政治家のせいにしているうちは駄目で、自分達が原因であり、一人ひとりに責任があるということです。
20代の時から「日本は守るべきものを捨て、取り入れるべきでないものを取り入れ、取り入れるべきものを取り入れない」と言ってきました。
取り入れるべきは、日常的に政治の話をすること、おかしいことはおかしいと声をあげること、海外ではとっくにやめている弊害が大きい感染対策をやめること、子どものデジタル機器使用制限、などです。
それにしても、日本の異常なレベルの国民負担率。
高負担の国は、当然、高福祉です。日本は、高負担で低福祉。ありえません。
これだけ搾取され、虐げられているのに、黙っていて首を絞められていくばかり。
「沈黙は黙認」です。
選挙は、私達の意見をぶつけることができる機会です。
私達の暮らしを苦しくし続け、売国政策を続けている(悪政連発の)与党を信任しない(=与党に投票しない)ことは、当然でしょう。今までは投票したい政党・選択肢がないという問題がありましたが、今回は消費税廃止や今までの感染対策に反対する政党があります。棄権している人が皆この政党に投票すれば、大きな影響を与えることができます。
これだけ国民の生活が大変な時に、命と暮らしを守れない、守ろうとしない政治家は不要です。命・健康・暮らしを守るためには、新しいことをするのではなく、悪影響が大きいことをやめるのが最優先で、マスコミは、例によって優先順位が低いことや変えないほうが良いことを争点にしようとしていますが、私が重要な争点と考えるのは3つです。
1、消費税・インボイス廃止
2、弊害が大きい感染対策をやめる
3、15歳以下のデジタル機器使用制限
1つ目、消費税廃止または減税を言わない候補者は、今の日本の状況や税・経済のことをわかっていないので、投票に値しません。日本の消費税は、海外のものと比較しても、ひどい制度ですし、法人税・所得税減税の穴埋めに増税されています。消費税廃止・減税、インボイス廃止が重要な争点にならなければおかしいです。
もうひとつ重要な争点は、私が2020年から書いていたとおりになった多数の犠牲者が出ている感染対策をやめることです。なぜ、2021年から超過死亡が激増しているのか、出生数が激減しているのか、原因・理由があります。「国家による自国民の殺人」ですから、推進してきた政治家が、税金から給料をもらう、再選されるなど、とんでもない話で、本来は裁かれなければいけません。
また、海外では子どもの脳の発達を止めたり、老化をさせてしまうことがわかっている電磁波対策が行なわれていますが、日本は野放しです。子どもの健康や健全な発達よりも企業の利益を優先する政策は改める必要があります。
今の日本では、海外の資本家・多国籍企業・外資大企業のため、利権・富裕層優先、「日本・私達の暮らしを壊す政治」が続いています。感染対策や能登の状況を見れば明白にわかります。
日本国民=私達のための政治に転換することが必要です。
黙認していれば、さらに暮らしは苦しくなり、言論統制も強化されて、このような発信もできなくなり、最終的には日本は滅びてしまうでしょう。歴史をみれば、国や民族が滅亡した例はいくつもあるのです。すでに日本が日本ではなくなっていますが。
このまま真綿で首を絞められて、座して死を待ちますか?
やられ放題、やられたままですか?
これからも、「今だけ、金だけ、自分だけ」ですか?
結果がどうであろうと、なんとかしようという姿を子ども達に見せなくて良いのですか?
立ち上がる時。行動・実践することが子ども達に対する大人の責任です。
お金はかけずとも投票すれば良いのです。記事をシェアするのもお金はかかりません。
政治が生活に影響を及ぼさない人はいないのですから、本来は投票率は100%でないとおかしいのです。とても貴重で最も重要な権利です。
投票しないことは、既得権者・権力を利することになります。
「殺人や悪政は許さない」という意思を表しましょう。
私達の先人・ご先祖様は、命を捨ててでも、国=私達を守ろうとしました。
まだ日本に侍や大和撫子がいることを示しましょう。
店主が共同代表となり運営している小中学生向けの「ほんもの寺子屋」
https://honmono-terakoya.com/
では、様々な体験をすることを重視しています。
北杜市の田んぼで、稲刈り→稲を束ねて縛る→はざ掛け、を体験させてもらいました。
雨も降りそうで降らず、曇っていて暑くも寒くもなく絶好の天候で、私も生徒と一緒に作業をして汗をかいてきました。農作業をするといつも思いますが、やはり大人数で協力してやると、たくさんの仕事が早くできるので、「協力することの大事さ」を実感します。
昔は、現代日本人のように他者の一面だけを見てレッテル貼りして切り捨てるようなことが少なかった理由は、農作業をお互いに手伝いあっていた(=「お互い様」の精神が強かった)ことも一つの要因ではないかと思います。
また、農作業をすることで、農家さんや食べられることに感謝する氣持ち、お米一粒も大切にいただくことを身につけてもらえればと思ってます。
稲刈り初体験の生徒もいたのですが、「めっちゃ楽しかった」という感想で、「お願いして良かった」と思いました。
今年は収穫だけでしたが、来年は田植えなど他の作業も授業で行う予定です。
農作業前には、地元で長く続く和菓子屋さんで、地元武川産農林48号で作った焼き団子(大人氣ですぐに売りきれます)をいただき、作業後には、やはり地元の梨北米でカレーをいただきました。
自然の中で働くのは氣持ちが良く、綺麗なお花も見れたり、とても充実した幸せな体験でした。
お世話になりました方々に感謝です。
2011年からフェイスブックを始めて、本日お友達が上限の5000人になりました。ご存知の方が多いと思いますが、FBは5000人までしかお友達になれません。
コ口ナの時に、命懸けの発信を毎日朝晩2回して、約2200シェアされた投稿もありました。私達日本人の命や健康を守るため、異常事態を終わらせるために情報を広げるのに必死で、お会いしたことがない方でも申請を承認していましたので、その時にお友達が増えました。
また、全国各地での八方良しの講演でお会いした皆様とも繋がらせていただき、段々増えてまいりました。
元々、人付き合いが得意なほうではなく、始めた時には「友達100人位できれば」と思っていたのですが、13年積み重ねることで信じられないことが起きました。ご縁をいただき、お世話になった皆様に感謝申し上げます。
ありがとうございます。
体が1つでは足りない状態で、以前のように頻繁に投稿できませんが、これからもよろしくお願い致します。
ほんもの寺子屋の目的は、「自分の力で幸せに生きていく人」を育てる。
そのために、「郷土や日本のこと、本物・本当のことを学ぶ「共育」の場」を創り、運営しています。
そこで、「幸せ」ということについて、私の考えと近い著書に出会いましたので、ご紹介します。
まずは、山本光広さん著の「ちゃぶ台の話~おとなの絵本~」「ちゃぶ台の話」の2冊から。
「今の自分はすでに幸せと氣づくこと。
幸せは誰かにもらうものではなく、自分の中に自分で見つけて感じるもの。
どんな時でも常に幸せを感じられる自分になること」
とても大切なことだと思います。
私もこの考え方・捉え方ができるようになってから、ずっと幸せです。
困難や辛いことも山ほどありますが、それが人生というもの。不幸ではありません。
「生きているだけで丸儲け」(明石家さんまさんの名言)
「物事に対して、どうい意味づけをして、どう感じるかは自分で選択ができます。
いつだって、自由に、幸せにも不幸にもなれる」
とあります。
松下幸之助さんは、「財産もない、学歴もない、健康にも恵まれない」という「三無」の境遇を「良かった」、と捉え、尊敬される経営者となりました。すべては自分次第ということです。
境遇や他人のせいにする人がいますが、基本的に境遇や他人はコントロールできません。
コントロールできないのが当然なのに、自分の思い通りにならないと不満を持ったりイライラしていたら、毎日イライラしていないといけなくなります。
誰々が〇〇だから、不幸。
他人を責めたり、不満を募らせても、物事はよくなりません。
たくさんの有難いことを享受し充分幸せ(足るを知る)なのに、それに感謝できず(足るを知らない)、できていないことに焦点を当て、そこがすべてかのように肥大化させ、自分で自分を不幸にしている人がいます。
「被害者意識」では、幸せになれません。
何々があれば幸せ、こうなれば幸せ。という条件付きでは、「今」幸せになれません。人生は「今」の連続なのに、です。
生かされているだけで有難いという心の底からの感謝があるかどうか、だと思います。
ただし、世の中を良くしていくために声をあげることは必要です。
役人や政治家は公人です。おかしなことをしたら、「おかしい」と指摘し、改善のための提言や提案をしていきましょう。特に今の日本は異常ですし、あまりにも搾取がひどいので、行動・実践が必須です。
また、自分を磨き、成長させるために生涯学び続けることも大切です。この点については、常に満足せず、努力を積み重ねることです。
「北の国から家族4人で幸せ自給生活」 三栗祐己・沙恵著
こちらは東電社員を辞めて自給生活をしているご夫婦の本です。
タイの山奥のパーマカルチャー・ファームに5年間で300日以上滞在し、そこには電氣・ガス・水道がなかったそうです。
「こうした経験をして帰国すると、電氣・ガス・水道のある日本の当たり前の暮らしが、いかにありがたいことかがわかり、ただ普通に生きているだけで幸せを感じられるようになりました。すると、以前には感じていた様々な不安を感じることが少なくなり、ただ生きていることを感謝できるようになりました」
「妻も電化製品の少なくなった今の暮らしをこんな風に楽しんでいます。
・冷蔵庫なし 食べ物が無駄にならなくなった。無駄にしてしまうストレスから解放された
・テレビなし 家族との会話が増えた。子ども達がテレビばかり見て困るということもない
・炊飯器なし 鍋炊きは炊飯器より美味しい
・電子レンジ・オーブンなし 冷えた食べ物は鍋などで温められるからそれで十分
・ドライヤーなし タオルで拭いて自然乾燥で問題ない
不便さよりも、少ないモノやエネルギーで暮らせる快適さのようなものを感じて、日々過ごしています」
すべては捉え方。解釈の仕方=解釈力ですね。
同じ出来事でも悪くとる人もいれば、良くとる人もいます。
松下幸之助さんが証明しているように、良い解釈をできるかどうかで、幸せか不幸か、未来の展開も大きく変わります。
現代日本人は、色々な心・精神の病氣になっているように感じます。
①贅沢(足るを知らない)病
生きるのに必要なもの(空氣・太陽・水・大地など)はすべてあるのに。
家族と一緒にいられるだけで幸せなのに。
五体満足なだけでも有難いのに。
私は、昨年5箇所骨折して、まったく動けなくなり、手術後は松葉杖・車椅子で運転もできませんでしたが、不幸だとは思いませんでした。歩けない人や車椅子の方の氣持ちや大変さがわかるようになりました。
今もまだ完全に治ったわけではなく、正座はできず後遺症も残りそうですが、普通に歩くことはでき、少しづつ運動もできるようになり、左肩の五十肩は治りましたので、とても有難いです。
②「お互い様」を忘れた病
お世話になっていることや助けられたこともあるのに、他人の欠点やできていないことやミスに注目し、不満を募らせ、許せない。小さなことで怒ったり、他人を批難したり。
完璧な人間などいないのに。「お互い様」という精神も忘れてしまったのでしょう。
③極端病
〇か×かで人を判断する。傲慢なことです。人を攻撃したり、遠ざけ、付き合いをやめてしまう。極端なのです。
誰しも欠点もあり、ミスをすることもあり、考え方も違います。
④違いを認めない病
日本特有なのは、1つの問題の意見が異なるだけで、付き合いをやめたり、人格を否定したりする人が多く見受けます。考えや意見は違って当然なのに。
することや意見と、人格は別なのに一緒にしてしまうんですね。
⑤決め付け、レッテル貼りをする
これも多く見られます。人は多面的であるのに、「〇〇な人」と決めつけ、レッテルを貼ってしまう。
上記により、境遇や他人を否定することで不幸や分断が起きていると思います。
選挙も支配者の分断の手段です。
山本さんの本は、私が講演でお話している、「地域・国内でお金を循環させる重要性」についても書かれていて、その点も素晴らしく、私の店でも販売させていただこうと思っています。
氣付けば今年も4分の3が終わり!残り3ヶ月となりました。
本日より4月中旬~休業していた甲府店が再開し、2階ギャラリーでは「伝統の技と現代家具展」も始まりました。
昨年同様、今年も家具展に永宮仁志さんが、当店で販売している花器にお花を飾ってくださいました(写真)。「作品」ですね。あるとないのでは”雲泥の違い”です。
家具と共にお楽しみいただければと思います。
1階のショップでも秋冬物も取り揃えてお待ちしています。
通常は月曜日は休業ですが、7日(月)は営業しますので、「月曜日しか行けない!」という方は、ぜひお出かけください。
※休業日はトップページ左下に記載しています
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