どんな時でも常に幸せを感じられる自分になる / 5つの心の病

2024-10-13 | ほさか式幸せ生活

ほんもの寺子屋の目的は、「自分の力で幸せに生きていく人」を育てる。
そのために、「郷土や日本のこと、本物・本当のことを学ぶ「共育」の場」を創り、運営しています。

そこで、「幸せ」ということについて、私の考えと近い著書に出会いましたので、ご紹介します。

まずは、山本光広さん著の「ちゃぶ台の話~おとなの絵本~」「ちゃぶ台の話」の2冊から。
「今の自分はすでに幸せと氣づくこと。
幸せは誰かにもらうものではなく、自分の中に自分で見つけて感じるもの。
どんな時でも常に幸せを感じられる自分になること」

とても大切なことだと思います。
私もこの考え方・捉え方ができるようになってから、ずっと幸せです。
困難や辛いことも山ほどありますが、それが人生というもの。不幸ではありません。
「生きているだけで丸儲け」(明石家さんまさんの名言)

「物事に対して、どうい意味づけをして、どう感じるかは自分で選択ができます。
いつだって、自由に、幸せにも不幸にもなれる」
とあります。

松下幸之助さんは、「財産もない、学歴もない、健康にも恵まれない」という「三無」の境遇を「良かった」、と捉え、尊敬される経営者となりました。すべては自分次第ということです。

境遇や他人のせいにする人がいますが、基本的に境遇や他人はコントロールできません。
コントロールできないのが当然なのに、自分の思い通りにならないと不満を持ったりイライラしていたら、毎日イライラしていないといけなくなります。

誰々が〇〇だから、不幸。
他人を責めたり、不満を募らせても、物事はよくなりません。
たくさんの有難いことを享受し充分幸せ(足るを知る)なのに、それに感謝できず(足るを知らない)、できていないことに焦点を当て、そこがすべてかのように肥大化させ、自分で自分を不幸にしている人がいます。
「被害者意識」では、幸せになれません。
何々があれば幸せ、こうなれば幸せ。という条件付きでは、「今」幸せになれません。人生は「今」の連続なのに、です。
生かされているだけで有難いという心の底からの感謝があるかどうか、だと思います。

ただし、世の中を良くしていくために声をあげることは必要です。
役人や政治家は公人です。おかしなことをしたら、「おかしい」と指摘し、改善のための提言や提案をしていきましょう。特に今の日本は異常ですし、あまりにも搾取がひどいので、行動・実践が必須です。
また、自分を磨き、成長させるために生涯学び続けることも大切です。この点については、常に満足せず、努力を積み重ねることです。

「北の国から家族4人で幸せ自給生活」 三栗祐己・沙恵著
こちらは東電社員を辞めて自給生活をしているご夫婦の本です。
タイの山奥のパーマカルチャー・ファームに5年間で300日以上滞在し、そこには電氣・ガス・水道がなかったそうです。
「こうした経験をして帰国すると、電氣・ガス・水道のある日本の当たり前の暮らしが、いかにありがたいことかがわかり、ただ普通に生きているだけで幸せを感じられるようになりました。すると、以前には感じていた様々な不安を感じることが少なくなり、ただ生きていることを感謝できるようになりました」

「妻も電化製品の少なくなった今の暮らしをこんな風に楽しんでいます。
・冷蔵庫なし 食べ物が無駄にならなくなった。無駄にしてしまうストレスから解放された
・テレビなし 家族との会話が増えた。子ども達がテレビばかり見て困るということもない
・炊飯器なし 鍋炊きは炊飯器より美味しい
・電子レンジ・オーブンなし 冷えた食べ物は鍋などで温められるからそれで十分
・ドライヤーなし タオルで拭いて自然乾燥で問題ない
不便さよりも、少ないモノやエネルギーで暮らせる快適さのようなものを感じて、日々過ごしています」

すべては捉え方。解釈の仕方=解釈力ですね。
同じ出来事でも悪くとる人もいれば、良くとる人もいます。
松下幸之助さんが証明しているように、良い解釈をできるかどうかで、幸せか不幸か、未来の展開も大きく変わります。

現代日本人は、色々な心・精神の病氣になっているように感じます。

①贅沢(足るを知らない)病
生きるのに必要なもの(空氣・太陽・水・大地など)はすべてあるのに。
家族と一緒にいられるだけで幸せなのに。
五体満足なだけでも有難いのに。

私は、昨年5箇所骨折して、まったく動けなくなり、手術後は松葉杖・車椅子で運転もできませんでしたが、不幸だとは思いませんでした。歩けない人や車椅子の方の氣持ちや大変さがわかるようになりました。
今もまだ完全に治ったわけではなく、正座はできず後遺症も残りそうですが、普通に歩くことはでき、少しづつ運動もできるようになり、左肩の五十肩は治りましたので、とても有難いです。

②「お互い様」を忘れた病
お世話になっていることや助けられたこともあるのに、他人の欠点やできていないことやミスに注目し、不満を募らせ、許せない。小さなことで怒ったり、他人を批難したり。
完璧な人間などいないのに。「お互い様」という精神も忘れてしまったのでしょう。

③極端病
〇か×かで人を判断する。傲慢なことです。人を攻撃したり、遠ざけ、付き合いをやめてしまう。極端なのです。
誰しも欠点もあり、ミスをすることもあり、考え方も違います。

④違いを認めない病
日本特有なのは、1つの問題の意見が異なるだけで、付き合いをやめたり、人格を否定したりする人が多く見受けます。考えや意見は違って当然なのに。
することや意見と、人格は別なのに一緒にしてしまうんですね。

⑤決め付け、レッテル貼りをする
これも多く見られます。人は多面的であるのに、「〇〇な人」と決めつけ、レッテルを貼ってしまう。

上記により、境遇や他人を否定することで不幸や分断が起きていると思います。
選挙も支配者の分断の手段です。

山本さんの本は、私が講演でお話している、「地域・国内でお金を循環させる重要性」についても書かれていて、その点も素晴らしく、私の店でも販売させていただこうと思っています。








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