昨日に続き、「怒らないこと」から。私もこの本を読んで、自身を省みています。
「幸福を望むなら、まず「私は怒りたいのだ。ロクなものではないのだ」と認めること。それから「怒りとは何か」「我々はなぜ怒るのか」を理解しましょう。問題の解決は問題の理解から始まります」
「「受け入れること」と「拒絶すること」は、誰がやっているのか?「私自身」。対象を容認すれば愛情が生まれてくるし、拒絶したら怒りが生まれる。ですから、怒るか否かは個人の人格の問題。明るく生きるか、あるいは、苦しくて、悔しくて、文句だらけの人生になるか。それはその人次第。それ以外に原因はない。
花を「綺麗だ」と思うのは人間の勝手。ゴキブリを気持悪いと思うのも人間の勝手」
「怒るのも、愛情をつくるのも、個人の勝手である」ということをまず理解してください。怒るのは誰のせいでもありません。「怒るのは私のせい」なのです。「自分を直せば、怒りの感情を完璧に追い払ってしまい、愛情の感情、あるいは幸福の感情だけで生きていられる」ということ。」
↑ 昨日書いたように、「人のせい、何かのせいにしては駄目」、自分次第ということですね。「こういうご時勢だから」「みんなやっているから」「職場が、学校が」という言い訳もよく聞きます。
添付のように、マスクがそうですが、「自分の考えを持たずまわりに合わせる」のは、日本人の恥ずかしい点だと思いますし、それを恥ずかしいことだと氣付いていないのも恥ずかしいことだと思います。
ー
「人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っているから怒るのです。「相手が正しい」と思ったら、怒ることはありません。「私は完全に正しい。完全だ。完璧だ。相手のほうが悪いんだ」と思うから、怒る。」
「私達の心にある「私は正しい」という思考は間違い。「私が正しいはずはないのだ」に訂正すること。「私は完全だ」「私は正しい」というとんでもない考えは、一刻も早く捨てたほうがよい」
「「私は正しい、とは言えない。私は不完全だ。間違いだらけだ」ということが心に入ってしまうと、もう二度とその人は怒りません」」
「完全な結果を求めるのは間違っています。「自分は完全ではないし、他人にも決して完全な結果は求めない」という思考が、我々が落ち着いていられる秘訣です。私も、他人も誰も完全ではありません。「完璧に上手くいく」ということはあり得ないのです。「精一杯やりますけど、結果は分かりません」という知識的で、高度な生き方がよい。
「自分は完全だ。完璧だ」と思う人は、自分の思い通りに事が運ばないからと終始怒って、そのたびに酷い目にあっています。すごく無知な生き方をしているのです」
↑ 私も、「自分は完璧ではない。不完全な人間だ」という意識を日頃から強く持つようになってから、怒ることが少なくなりました。
ー
「勉強したことはすぐに忘れるのに、他人に嫌味を言われたら一生忘れない。その時に限って物覚えが良い。
いじめられた側は覚えていて絶対に忘れません。それで苦しむのは自分自身。親切にされたことはものの見事に忘れる。「忘れないで覚えておくなら勝手にどうぞ。けれどあなたは不幸になります」」
「赤ちゃんは過去の嫌なことを反芻したりしない。大人は嫌なことをしつこく覚えていて、思い出したりして、ろくでもない概念を延々と回転させる」
「都合の悪いことだけは覚えておいて、役に立つことはけろっと忘れるという法則がある。相手が間違って言いすぎたことや、気に障ったことだけを徹底的に覚えている。「ののしられた」「いじめられた」「盗まれた」というのも全部くだらない。くだらない妄想概念を反芻して膨らませて不幸の塊になるのは最悪。こうした妄想概念をつくらにようにするのが、怒らない秘訣」
↑ これはよくありますね。人間の性(さが)でしょう。
さんざんお世話になったり、親切にされたり、素晴らしい点もある、良いことや楽しいこともたくさんあったのに、1回のこと、ちょっとしたことで縁を切ってしまったり(先日書いた、村八分ではなく、村十分)、責めたり、ネットで公開で批難したり、赦せない。なんでかな~、って思います。自分も完璧ではないのに、他人は赦せない。分断の罠に嵌っているのも見かけます。
大人よりも赤ちゃんのほうが、よっぽど大人ですね(笑)。
「幸福を望むなら、まず「私は怒りたいのだ。ロクなものではないのだ」と認めること。それから「怒りとは何か」「我々はなぜ怒るのか」を理解しましょう。問題の解決は問題の理解から始まります」
「「受け入れること」と「拒絶すること」は、誰がやっているのか?「私自身」。対象を容認すれば愛情が生まれてくるし、拒絶したら怒りが生まれる。ですから、怒るか否かは個人の人格の問題。明るく生きるか、あるいは、苦しくて、悔しくて、文句だらけの人生になるか。それはその人次第。それ以外に原因はない。
花を「綺麗だ」と思うのは人間の勝手。ゴキブリを気持悪いと思うのも人間の勝手」
「怒るのも、愛情をつくるのも、個人の勝手である」ということをまず理解してください。怒るのは誰のせいでもありません。「怒るのは私のせい」なのです。「自分を直せば、怒りの感情を完璧に追い払ってしまい、愛情の感情、あるいは幸福の感情だけで生きていられる」ということ。」
↑ 昨日書いたように、「人のせい、何かのせいにしては駄目」、自分次第ということですね。「こういうご時勢だから」「みんなやっているから」「職場が、学校が」という言い訳もよく聞きます。
添付のように、マスクがそうですが、「自分の考えを持たずまわりに合わせる」のは、日本人の恥ずかしい点だと思いますし、それを恥ずかしいことだと氣付いていないのも恥ずかしいことだと思います。
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「人間というのは、いつでも「私は正しい。相手は間違っている」と思っているから怒るのです。「相手が正しい」と思ったら、怒ることはありません。「私は完全に正しい。完全だ。完璧だ。相手のほうが悪いんだ」と思うから、怒る。」
「私達の心にある「私は正しい」という思考は間違い。「私が正しいはずはないのだ」に訂正すること。「私は完全だ」「私は正しい」というとんでもない考えは、一刻も早く捨てたほうがよい」
「「私は正しい、とは言えない。私は不完全だ。間違いだらけだ」ということが心に入ってしまうと、もう二度とその人は怒りません」」
「完全な結果を求めるのは間違っています。「自分は完全ではないし、他人にも決して完全な結果は求めない」という思考が、我々が落ち着いていられる秘訣です。私も、他人も誰も完全ではありません。「完璧に上手くいく」ということはあり得ないのです。「精一杯やりますけど、結果は分かりません」という知識的で、高度な生き方がよい。
「自分は完全だ。完璧だ」と思う人は、自分の思い通りに事が運ばないからと終始怒って、そのたびに酷い目にあっています。すごく無知な生き方をしているのです」
↑ 私も、「自分は完璧ではない。不完全な人間だ」という意識を日頃から強く持つようになってから、怒ることが少なくなりました。
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「勉強したことはすぐに忘れるのに、他人に嫌味を言われたら一生忘れない。その時に限って物覚えが良い。
いじめられた側は覚えていて絶対に忘れません。それで苦しむのは自分自身。親切にされたことはものの見事に忘れる。「忘れないで覚えておくなら勝手にどうぞ。けれどあなたは不幸になります」」
「赤ちゃんは過去の嫌なことを反芻したりしない。大人は嫌なことをしつこく覚えていて、思い出したりして、ろくでもない概念を延々と回転させる」
「都合の悪いことだけは覚えておいて、役に立つことはけろっと忘れるという法則がある。相手が間違って言いすぎたことや、気に障ったことだけを徹底的に覚えている。「ののしられた」「いじめられた」「盗まれた」というのも全部くだらない。くだらない妄想概念を反芻して膨らませて不幸の塊になるのは最悪。こうした妄想概念をつくらにようにするのが、怒らない秘訣」
↑ これはよくありますね。人間の性(さが)でしょう。
さんざんお世話になったり、親切にされたり、素晴らしい点もある、良いことや楽しいこともたくさんあったのに、1回のこと、ちょっとしたことで縁を切ってしまったり(先日書いた、村八分ではなく、村十分)、責めたり、ネットで公開で批難したり、赦せない。なんでかな~、って思います。自分も完璧ではないのに、他人は赦せない。分断の罠に嵌っているのも見かけます。
大人よりも赤ちゃんのほうが、よっぽど大人ですね(笑)。