母の8回目の命日

2024-08-04 | ほさか式幸せ生活

8年前の今日、8月4日の朝、突然、母・保坂英美子が亡くなっていました。
過去7年間、命日に書いてきたと思うので、当時のことは今年は書きません。

ただ、前日まで何の持病もなく元氣でしたから、衝撃が大きすぎて、この日が来ると、また辛くなりますが。
「無償の愛」を実践した人で、怒られた記憶がほとんどありません。

父(保坂紀夫)が、世界の美術史上世界最高と言える作品を残せたのは「母のおかげだった」ことと、父は芸術家としては偉業を成し遂げましたが、夫としては赤点だったと思うので「母は苦労した」、ということも竹の造形美術館で私が行っている解説ツアーで、お伝えしています。「忍耐につぐ忍耐」だったと思います。





森信三先生のご著書「家庭教育の心得21」から少しご紹介します。
時代が変わろうと不変の真理はありますが、現代は真理や本当のこと(例 男性と女性は違う)を言うと叩かれる時代で、皆、口をつぐんでいますから、森先生のお言葉は貴重なのだと思います。

「女性の徳として最も大事なことの1つ、昔から「堪え忍ぶ」ことが貴ばれてきたのは、女性は常に自分の激情を抑え、家族全員の心を吹き荒らすことのないことが何より大事だから。心ある人々によって「女性は家庭の太陽である」と言われるのも、実はこうした真理をいう。女性は「家庭」という王国にあっては、まるで太陽のように、家族全員の心を温めて、生命を育むこと、太陽のようなものだというほどの意味。」

「女性は、家庭における太陽であるとともに、民族における「大地」にも比するべきもの。子を産みかつ育てるという民族の神聖な使命を負わされているがゆえです。したがって、女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。いうなれば、民族の将来は女性の在り方如何によって決まると言っても決して過言ではない。」



ほとんどの日本人が知らない
「お母さん」の語源
を考えれば、
「ママ」じゃなくて「お母さん」です。

母が突然死したように、人生、何が起こるかわからない。
今日、生かされていることは当たり前ではない。
私も明日、生きている保障などない。
だから、生かされているだけで、有り難く、幸せ。

小さなことで、不満を持ったり、人を責めたり。それが悪循環や分断を生んでいることが多いように思います。
~になったら幸せ、という条件があるのではなく、生かされていること、一緒にいることが幸せ。

だから、苦しいこともありますが、私はずっと幸せです。
外から見たら、悪いことのように言われるかもしれませんが、「災い転じて福となす」こともあります。

良いところがたくさんあるのに、一部の足りないところ、できていないところに焦点を当てて、あたかもそれが全てのように捉えたり、人の欠点をあげつらっても、良いことはありません。
有り難いことに、生きるのに必要な、「大地・空氣・水・太陽、自分の体」などは、与えられています。
「有り」「難い」だから、「有る」ことは当たり前ではないのに、です。
良いところやできていることに本当に感謝をしていれば、不満や不幸にはならないと思います。

そして、完璧な人はいないのですから、「お互い様」の精神、が大切だと思います。


人は必ず「死」を迎え、身体は無くなりますが、残るのは「生き様」「愛」「記憶」です。

先日、たまたま母が私を産むまでの日記が出てきて、読みました。
産み育ててくれてありがとうございます。
母に感謝を捧げます。

合掌





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