「当たり前」は不幸の始まり。幸せに生きられるかどうか、は心の在り方による

2023-12-16 | ほさか式幸せ生活

ひすいこたろうさんとSHOGENさんの著書「今日、誰のために生きる?」が大ヒットしています。
SHOGENさんが滞在したアフリカの小さな村(ブンジュ村)は、かつての日本人の感性で生活が営まれ、ずっと幸せであり続ける村で、SHOGENさんが体験したこと、感じたことが書かれています。SHOGENさんから、ブンジュ村での出来事を聞いて話に釘付けになった、ひすいこたろうさんと本を出すことになったのです。

私も「昔に進もう」「日本の先人は凄い」ということを言い続けていますので、興味深く読ませていただきました。いくつか印象に残った点をご紹介します。

「人間が人間に戻るために、自然に触れて自然に還る」
スバリ「自然に還ろう」という講演会をしているくらいですから、完全に同意です。不自然なものが増えて、どんどん非人間的な方向へ誘導されていますので、逆方向へ進むことが大切だと思います。

「自分が深く満たされていたら人は争わない。あなたが幸せでご機嫌でいることが最高の社会貢献」
→「あなたがご機嫌でいることが大切」。これも10月の講演会「第2回自然に還ろう」で出た話です。争ったり、不機嫌でいることは周りにも影響を与えます。

「当たり前のように見える日常の小さな幸せにちゃんと氣づく。ここが幸せの起点。」
→「当たり前」は不幸の始まり。五体満足も当たり前ではありません。
私は骨折して、
・まったく動けない
・寝返りがうてない
・トイレにいけない
・歩けない
・お風呂に入れない
・運転できない
などの経験をしましたが、精神的に落ち込まなかったのは、
「生かされているだけで有難い・幸せ」という考えがあったからです。
骨折後に人から攻撃されたことのほうが、よっぽど辛かったです(笑)。

「当たり前に思っていたものが、実は一番の願いをはるかに超える巨大な幸せ。
幸せはなるものではなく、気付くもの。幸せの第一歩は、自分は幸せだったと知ること。
幸せになるには、「幸せを感じる心」を手に入れるしかない。」
→「幸せはなるものではなく、気付くもの。幸せの第一歩は、自分は幸せだったと知ること」「幸せになるには、「幸せを感じる心」を手に入れるしかない」
この2つも私が常々言っていることで最重要な真理ですね。
同じ状況でも「不幸だ」「駄目だ」と思う人と「幸せ」「問題ない」と思う人がいます。
すべてはどう受け止めるか=受け止め方です。
95%はうまくいっているのに、5%の問題点ばかり注目して、すべてが駄目のように考えたり。

95%うまくいっていることは当たり前ではないのですから、充分幸せだと思います。

幸せに生きられるかどうか、は外的要因・他人がどうこうではなく、その人自身の心の在り方による、ということです。逆に言えば、他人のせいにしているうちは駄目、だと考えています。

①人間として②日本に③五体満足で産まれた時点でもう、めちゃくちゃ幸せだと私は思います。
子どもが産まれる時に、「五体満足で生まれてくれればそれだけでいい」と言っていた親が、子どもが大きくなると、「うちの子はあれが駄目、これが駄目。将来が不安」と言い出します。

「問題は解決するために起きているのではなく、話し合うために起きている
問題は、君と僕の関係性をより深めるために起きてくれている。解決より尊重し合えることが本命。」
→今年は問題がたくさん起きましたが、レッテル張りをせず人を遠ざけずに直接の対話を続けられた人との関係性は深まりました。

「周りに合わせて自分の本音を隠して生きていると、次第に自分の本音がわからなくなる」
→これが現代日本人の病なのでしょう。私は周りに合わせないので、本音で生きています。

「歩くこと、掃除すること、洗濯すること、すべての行為と丁寧に向き合っていると、それは美しいアートになる。行為を楽しみ始める瞬間、行為は幸せの泉となり、人生は一変する」
→これも私が講演会で「偽物を使うと作業になり、本物を使うと楽しみに変わる」「本物との出逢いで人生が変わる」「本物は人を幸せにする」とお話していることと同意だと思いました。
魔法の箒を使っている方から、「①心まで清められる ②お掃除が楽しくなった ③場が浄化される」というご感想をいただきますが、まさに掃除=「魔法の箒を使う」という行為が上記の「幸せの泉」となり「人生は一変する」のです。

「楽しいことだけしていればいいわけでもない。やらなければいけないことを好きになる工夫も必要」
→これも寺子屋で言っていることで、「楽しいこと、やりたいことだけやればいい」という考えとは違います。
やる必要があることはやる。これには補足が必要でしょうが、対面で話さないと伝わりづらいでしょう。

この他にも、私がいつも言っている「日本語の素晴らしさ」についても色々と書かれています。日本語も世界に誇る「足元の宝」です。

日本人が日本の素晴らしさに氣付くこと、
素晴らしさは、新しいものではなく、ご先祖様や傳統の中にあること。それが私達の暮らしを良くしていくための鍵です。だから、私はそれを傳え続けているのです。

昔の日本人の精神を取り戻し、皆で助け合い、力を合わせて幸せに暮らしましょう。


 


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