連載5回目となりました。
「怒りを「抑える」「我慢する」は大間違い。怒りが生まれた場所は本人の中にあるから、我慢しても内側の怒りはそのまま。「発散」は、怒りの感情を正当化し、原因をごまかすという考え方で根本的な解決にはならない」
↑ 「抑える」「我慢する」「発散」は解決にはなりませんが、一般的にはこの3つが多そうです。
「怒りとは自分の中から生まれるものだから、解決方法は「毒そのもの」を抜くしかありません。「今の瞬間の自分に氣づくこと」、世の中で一番化学的な怒りの毒を抜く方法。すぐ自分の心を観る。それだけ。一番大事なこと」
↑ 具体的な解決策。本人は氣付かずも、すごい形相(ぎょうそう)・怖い顔をしていたり。鏡を見るのも良い方法のようです。
「本当にいいのは、怒らない方法を探すのではなく、ただ怒らないこと」
「本当に怒りがないということは、怒る条件が揃っていてお怒らないこと。けなされてもニコニコできること」
「「何をされても怒らない」ということを自分に課してみましょう。「無視された」「いじめられた」とかそんなつまらないことでは怒れなくなる。「殺されそうになっても怒りをもたない」というほどの覚悟があれば、世の中にいきるということくらい、なんのこともない」
↑ 41周年記念講演でもお話した、やはり「覚悟」ですね。
「何があってもびくともしない心をつくる」と本にあります。「精神力」「心の在り方」で、同じことが起きても、その後の展開が変わってきます。鉄のように打たれて強くなる。こちらが柔らかくなって、力を吸収したり、受け流したりという方法もあるでしょう。
何か言われて「傷つけられた」と被害者としていつまでも引きずったり、相手を責めるのではなく、何を言われても傷付けられない強さを持てると良いと思います。
添付のように、何かをすると必ず何か言ってくる人がいるものです。同じものを見ても捉え方は人それぞれ。善意で良いと思うことをやっても、悪く解釈する人はいるものです。的確な助言なら受け入れれば良いですし、的外れなことであれば、氣にしなければいい。氣にしても何も良くなりませんから。
「「悪いことをしたのだから、罰を与えても当然」という思考は本当におかしい」
↑ 悪いことをしたことがない人はいないから、人は他人を裁けない、という理由が1つ、もう一つは
「自分がやったことは自分で反省しないと意味がない。反省の気持ちにならないと過ちを直せない」とのこと。
↑ 罰を与えても過ちを直せないから、という理由ですが、考えさせられますね。