「変身」

2025-01-16 | ほさか式幸せ生活

約3週間と予想以上に時間がかかりましたが、おかげさまで手術した目は、今朝になり元に近い状態になってきました。両目が見える、ということがいかに有難いか、痛感しています。
多くの皆様にご心配をいただきましたので、ご報告しておきます。心より感謝です。


元旦の記事に「
今年こそは、個人的にも日本も大転換の起点の良い年になるという予感がしていますし、そうなるように努め、動いていきます」と書きました。
そのためには、まず自分が変わることが必要です。

今までの人生、「自分はダメだな~」、でも、落ち込んでいる暇は無い。前を向いて進もう。「ダメだな~」、でも前を向いて進もう。の繰り返しでした。

今朝、なぜか寝床で突然、「今日から生まれ変わろう」と思いました。
そこで思い浮かんだ歌が、37年位前に好きでよく聞いていた JUN SKY WALKER(S) の「変身」。
検索して、超久しぶりに聴いてみました。
https://www.youtube.com/watch?v=T7rm6FhyR7o
「♪この日から僕は生まれ変わろう~」
これです。
思い立ったが吉日。もう「おっさん」ですが、何歳からでも遅くはない。
今から、生まれ変わります。新しい人生の始まりです。
 JUN SKY WALKER(S)は、それにピッタリの歌もあります。
START」
https://www.youtube.com/watch?v=1bhZucLnlLI

頭ではわかっていても、本当の意味で、私は「自分自身を大切にできていなかった」のだと思います。目の手術をすることになったのは、それを教えてくれたのかもしれません。

「禍を転じて福となす」

具体的には、ご指導もいただきながら、まずは「無意識にやってきたことに目を向ける」こと。日常で当たり前に行ってきたこと全般(例えば、立ち方・呼吸・生活習慣など)を見直していく、ということです。同じことの繰り返しではなく、日々進化、変化、成長していけるように。

明日で阪神淡路大震災から30年。誰もが明日生きている保障はありません。
今日も生かされている奇跡・幸せを噛み締めながら、
「新しい自分に逢う」ことを楽しみにできることからやっていきますので、これからもよろしくお願い致します!


「古縮緬雛人形展/ちいさな雛人形展」 同時開催中

2025-01-10 | 展示会

一昨日から、1日1食生活を始めました。今まで2食が多かったのですが、1食のほうが色々と良い感じです。
手術した目は、見えるようになるまで、もう少し時間がかかるようです。

早いもので、令和7年も10日が過ぎようとしています。
まだ、4日に始まった雛人形展のご案内をしていませんでした。
36年続いている展示会です。

お雛様を飾ると、春の明るく楽しい雰囲氣になりますね。
一般の人形店では販売していない貴重な「古縮緬(こちりめん)」=古い縮緬の衣装の雛人形が大好評をいただいています。色合い・風合い・質感、すべてが今の生地とは違います。昔の染色技術の素晴らしさには驚きます。
古縮緬の雛人形がたくさん揃っている所は全国的にも他に無いようで、その点では、日本一の展示会と言っても過言ではないのではないかと思います。
展示販売なので無料でご覧いただけますが、お客様から「これだけの素晴らしい雛人形が見られるのだから、お金を取らないとダメ」とお叱りを受けたこともあります(笑)。

年末にかけて、スマホを持っていないガラケーのおじさん(私のこと)が、慣れないインスタに、「古縮緬雛人形が選ばれる5つの理由」など、頑張って9回投稿したのですが、あまり見てもらえてないようで(泣)(笑)。
https://www.instagram.com/nihonnotakumitobi.hosaka/

それはともかく、初節句の皆様や季節の演出をしたい方は、ぜひご覧になってください!
明日からの3連休、毎日営業しています。





「家庭教育の心得21 母親のための人間学」 森 信三著

2025-01-08 | ほさか式幸せ生活

今日も子育て・教育の本を取り上げます。寺子屋をやり始めてから、子育て・教育の本をたくさん読むようになりました。子どもが産まれる前、寺子屋を始める前に、もっと読んで学んでおくべきで、反省しています。

森先生は、日本を代表する哲学者・教育者のお一人で、私も何冊かご著書を拝読しています。
明治29年生まれですから、社会状況が今とは違い、共働きという前提が無い時代のご意見ですが、時代が変わろうとも不変の原則・真理というものは在り、基本として知っておいたほうが良いことがたくさん書かれています。
今の日本では、「時代錯誤」などと批判を浴び、炎上するかもしれません。しかし、道を究めた偉人の集大成とも言えるご見解を、大切に、謙虚に、冷静に受け止め、考えられれば、と思います。
そもそも、子ども達のことを考えた時に、共働き(家業を一緒にやるのと、外に勤めるのは違う)が当たり前になっている社会自体がどうなのか?という根本的な問題も考える必要があります。



「人間教育の真の基礎は家庭。8、9割までは母親の責任 家庭教育の根本は躾から始まる」
→小学生になる前の家庭での生活がとても大切なのだと思います。

「躾の3か条 挨拶・返事(我がとれる)・履き物と椅子」

「母親は御主人に朝の挨拶をはっきりする。御主人から呼ばれたら必ず「はい」と返事をする。
できないということは「我」が抜けていない何よりの証拠。子どもがいうことを聞かないのも当然。躾の問題は、これらができるかどうかが、その分かれ目。」
「子どもに父親軽視を仕込んでおいて、子どもの人間教育なんて、まったく笑止千万。父親を立てよ。」
「我が子が可愛いのでしたら、父親軽視の言葉や態度は絶対に根こそぎにしなくてはなりません。」
→父親を立てることが、子どもにとって大切なことであり、そのほうが母親も楽、という基本が、忘れられているように思います。このような内容は、現代では、反発されたり、嫌われたり、批判の対象になりかねない、炎上しかねない、ような社会になっているので、皆、心の中で思っていても、言わない、言えない。
こういうことを自由に言えないのは、非常に危険なことだと思い、敢えて掲載しました。

「父親は子どもからはもちろん、妻にさえ、十分に理解してもらえない存在」
→よくわかります(笑)。

「非行の根本原因は家庭が正常でないことに尽きる」

「一番大きな問題は、親が年頃の子をむやみに叱ること。いま一つ重大な問題は、「子どもの前では絶対に夫婦喧嘩をしない」。以上の2つは家庭生活上の最大のがん。」

「一切の人間関係にうちで、夫婦ほど忍耐心を必要とする人間関係はほかにない」
「子の教育には、母親は絶大な忍耐力が要る」
「忍耐こそ、諸々の徳行の基盤で、これができてないと物事を成就することができない。
親御さん自身が、非常に強い忍耐心を持つことが必要」

→忍耐できない世の中になっていると思います。そういう訓練を子どもの時にあまりしないですね。
(前にも書いたように、「忍耐・辛抱」と「我慢」は違うものと考えています)

「腰骨を立てる この一事を子どもに躾けられたら、親としてわが子への最高最大の贈り物」
→寺子屋でも「立腰」に取り組んでいます。(まだまだ、できていませんが)

「兄弟の比較は禁句」

「家庭学習の一番の土台は、小学1・2年では、国語の本を毎日必ず朗々と声を出して読む。
この事がいかに大事かということのわかる人は極めて少ない。毎日必ず親子が代わり番こに読む。
親が1ぺん、子が1ぺん、代わり番こに各々20回以上読む。1つの事柄を徹底的にすることにより、人間としての性根がピーンと立つ」
→書かれているように、実践している家庭は「極めて少ない」でしょう。

「飢餓感、ひもじさを体験させる」
「食事抜きの日、粗食の日をつくる」
→「足りない状況を創るのが教育」と聞いたことがあります。現代は与えすぎでしょう。

「ひとつのことを徹底して続けさせなければ効果を発揮しない」
→いつも言っている「継続は力なり」

「仏壇に合掌・礼拝を家風として存続し、墓参などには必ず子どもを同伴する」
→ご先祖様への感謝もとても大切ですね。

「9つ褒めて1つ叱れ。教育とはやる氣に火を点ずる努力。腰骨の立った人間にする以外に手は無い。「立腰教育」を実践し、驚くべき甚大な教育効果を挙げた。人間教育は、家庭が中心。親御さん方の自覚。ほめることは相手を受け入れ態勢にさせるコツ。」

「日本の社会が、子ども達を不必要に甘やかしている」
→同感です。

「娯楽ゲーム(テレビゲームなど)に近づけるな」
「家庭教育について最も憂慮に堪えないのは、テレビ問題。
番組内容から受ける子への「心の公害」に至っては、戦慄を禁じえない。
テレビのために子ども達はますます読書の習慣から縁遠い人間にされている。
読書は積極的な集中力を必要とするものですが、テレビは受動的消極的で何らの努力もしないふぬけ人間に子ども達を変えてしまう、実に恐るべき悪魔の魔術の現代版。テレビこそは、家庭学習を妨げつつある最大最強敵。教育上最大の公害=テレビ公害」
「テレビ対策5か条をどこまで守れるかが、その子の一生の運命の分かれ道となる
①幼児にはテレビには絶対に近づけない
②子どもは見るとしてもテレビ30分を厳守
③宿題がすむまでは絶対に見ない
④チャンネルは祖父母、父親の選択を第一に
⑤テレビは応接間か祖父母・親の部屋に
週に1日テレビ断食。五箇条を守れるかどうか、子の一生の運命の分かれ道」
→電磁波による健康や脳の発達への悪影響、目に与える影響、教育面など、デジタル機器の弊害は多岐に渡り、深刻な状況だと考えています。

「教育には焦りは禁物。近道はない。」

「母親としての真の愛情が身に付くためには、まず母親自身が人間としての「魂の開眼」が必要。「絶大な忍耐心」というものは、人間革命=「我を捨てる」なくしては絶対に不可能。我を捨てる一番の着手点は、御主人から呼ばれたら、爽やかな声で「はい」という返事をすること。母親としての人間革命にはこれに勝る道はない。
母親の「はい」という「我」を捨てた一語の威力たるや、いかなるものも及ばぬ絶大な効果を発するのでありまして、これこそ真に知る人ぞ知る無上の真理。どうして母親の「はい」の一語がかくまで偉大な力を秘めているのでしょうか。「はい」の一語に諸徳の根源とも言える「敬愛」という根本精神が込められているから。御主人に呼ばれた時の「はい」の返事には敬の一念がおのずからこもり、お子さんに呼ばれた時の「はい」の返事には、愛の一念が含まれているから。この敬愛こそは生命の呼応循環の根本原理だから。」
→以前、「自分なくし」ということを書きました。
母親に限らず、「我」を捨てることは、生きていく上でも、教育面でも大切なことだと思います。
知る人ぞ知る無上の真理」をほとんどの人が知らない状態ではないでしょうか。

「母親の方々に特に厳しく説きますのも、母親は家庭における偉大な大業の責任を持っているから。
無自覚な女性の被害を最も深く受けるのは、小さな子ども達。」

「女性の徳として最も大事なことの1つは、昔から「堪え忍ぶ」ことが貴ばれてきたのは、女性は常に自分の激情を抑え、家族全員の心を吹き荒らすことのないことが何より大事だから。心ある人々によって「女性は家庭の太陽である」と言われるのも、実はこうした真理をいう。女性は「家庭」という王国にあっては、まるで太陽のように、家族全員の心を温めて、生命を育むこと、太陽のようなものだというほどの意味。」
→「女性は家庭の太陽」、同意です。

「女性の幸福とは、夫をして後顧の憂い無く雄々しく敢闘させるとともに、子女を健全に育成するという任務を立派に果たすこと。こういう幸福感こそは、女性の幸福感として最も本質的な原形というべきかと考えるのですが、この頃ではこの原形からかなり逸脱し、変質しかけてきた傾向が見られるようですが、これは戦後アメリカ文化の皮相を移入したことが原因と思われまして、誠に深憂に堪えない次第。
女性は、家庭における太陽であるとともに、民族における「大地」にも比するべきもの。子を産みかつ育てるという民族の神聖な使命を負わされているがゆえです。したがって、女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。いうなれば、民族の将来は女性の在り方如何によって決まると言っても決して過言ではない。」
→子どもを産み育てる、人類の最も重要な仕事だと思います。

編者 寺田一清氏の文
「「躾の3か条」だけについても、そこに至るまでの森先生(83歳)ご自身の永年にわたる学問と実践とに裏付けられているわけでありまして、そこにはまだ多年に及ぶ全国講演行脚において接せられた幾百幾千という多くのご父兄の方々の悩みに当たられた、その結論とも申してよく、まさに彫心鏤骨の結晶。それがいかに絶大な威力を持つものかということは、真剣に取り組んだ人のみが知る。
この本は、世間にありふれたいわゆる綺麗事の家庭教育論とは違い、ただちに実践につながる書物であり、真に「宝典」の名にふさわしいと申せましょう。」

「見逃しやすい平凡事のうちに、不変の真理の基盤が秘められている。
本書が、日本における家庭の再建に役立ち、ひいては日本民族の将来に、希望の光をもたらす機縁ともなるであろうとひそかに確信する次第であります。」


「セルフヒーリングで望む世界がやってくる」渡辺純也著

2025-01-07 | ほさか式幸せ生活

6日(月)に手術した目の糸を抜きました。まだ見えませんが、少しだけ前進です。
年初から辛抱の日々。今年は、「ゆっくり慎重に」というお告げなのかもしれません。

昨日、松咲さんの著書をご紹介しましたが、最近は連鎖が起こります。

上記題名の渡辺純也さんの著書に、松咲さんが書かれているのと同じ内容が複数書かれているのと、私と同じ考えも多かったので、以下にご紹介していきます。



「悩みというのは、自分が置かれている環境からくるのではありません。
すべての悩みの正体、それは「ネガティブな観念」によるもの」
「自身の持つ「観念」が出来事に意味を与え、心地良い感情、不快な感情が生まれる」
「観念は、出来事に意味を与えるフィルターです。観念がなければ、いい気分にも悪い気分にもなりません」

「良いことも悪いことも自分で創り出しているもの。自分の周りの人は自分の投影ですから、自己評価通りの扱いを周りから受ける」

「自分を大切に扱っていないから、相手からも大切に扱ってもらえない」

「すべては自分の学びのため相手は投影として現れていて、その出来事が起こっているのです。人を赦せないというのは、その出来事を自分が招いているということに気づいていないがために、ネガティブな観点から自分以外のものに原因を見つけているだけ」
「相手は投影ですから、相手がどうこうというより、この状況を創った自分を見直すのです。そのことに気づけば相手に感情をぶつけることはありません。そして、繰り返すことはなくなります。自分が状況を創り出しているという意味において自己責任が持てるようになり、根本的な解決になります」

「批判や嫉妬は、批判や嫉妬をする人自身が抱えている問題を自分以外のせい、他人や環境などのせいにしているだけ。外部に向けた批判は、本当は自分自身に対して感じている批判」

→ここまで、「すべては自分次第」ですね。

「あらゆる問題は、あなたが問題だと思って初めて問題になります。問題だと思わなければ問題になっていません」
→問題と言うとネガティブな響きになりますが、「課題」と捉えることもできますし、仮に問題があったとしても、改善すれば良く、悪いことでもありません。

「ないもの」「不足しているもの」「すぐにできないこと」に注目するのではなく、「すでにあるもの」「足りているもの」「すぐできること」に注目する
「幸せとは、物理的環境によって手に入るものではなく、「幸せを感じる心」にあった」
「多くの人は「ある環境になると幸せ」と決めてしまっているので、逆に「その環境になっていないと不幸せ」という思い込みを創り出してしまっています」
「不足にフォーカスが向けられていますから、幸せを感じる心は不在」
→これは一昨日投稿した、「幸せに氣付く」ですね。
足りない点、人の欠点ばかりに注目する⇔足るを知る、長所を見る 
どちらを取るかで、毎日の氣持ち・精神状態がまるで違ってきますね。  

「本来、豊かさはどんな時も無尽蔵に注ぎ込むもの」

「自分を愛することができてこそ人を愛することができる」

「現実・他人は自分の鏡」
「自分を変えると現実も変わる」
→松崎さんの本にも書かれています。

「本を読んで頭で理解しておしまいにしないでください。それは理解とは呼べず、体験してこそ理解になります」
→私がいつも言っている「未体験のことは正しく想像できない」と同義ですね。



拝読して、日本の根本的な大きな課題として、日本人は「自己信頼の欠如」や「自己肯定感の低さ」が、生き方・考え方・人間関係・病氣などあらゆる面に大きな影響を与えており、その原因は「教育」だと思いました。やはり、寺子屋が必要です。

渡辺さんが本当に伝えたい最大のメッセージ(一文)は載せないので、ぜひご著書を読んでみてください。いつも言っているように、本はネットではなく、書店で買いましょう!なのですが、書店では販売されていないということで、1月10日~当店で販売させていただくことになりました。
この本との出逢いも、かなり奇跡的で偶然の連続でしたが、必然だったように思えます。
やはり、「本物との出逢いで人生が変わる」です。

前回の松咲さんも今回の渡辺さんも山梨県在住です。山梨、すごいです。

「これからの子育て」松咲紀子著

2025-01-06 | ほさか式幸せ生活

以前からお世話になっている知人の松咲紀子さんが、「これからの子育て」を出版されました。
ご紹介しようと思った理由は、題名は「子育て」となっていますが、生き方や考え方についても参考になることが書かれているからです。重要・素晴らしいと思ったところをご紹介します。



「昔から子育ては、複数の大人の手で担ってきたもの。母親一人で育てるというのは、歴史上でも初めての状態」
→その通りで、今は異常な状態だと思います。3世代同居、近所・地域の大人も一緒に育て、見守っていくことが、子どもの健全な成長や母親に負担が大きくなりすぎないために、大切なことではないでしょうか。

「相手にイラ立ったり、批判したくなっているとき、相手が悪いと考えがち。でも現象は自分の心の中を反映している鏡なので、自分のこと。~中略~ 「こんなもの持ってるゾー」と露わにするのが結婚した相手」
「パートナーにイラ立っている自分に気づいたら、自分に向き合う必要があるとき」

「「ありがとう」を言ってほしいという気持ちが湧いたら、”自分の中にありがとうが足りない”ということ」

「私の心の中で起こっていたことは私自身に対する非難。正直に生きていない、噓つきだと自分を批判していたのです。そのときはまったくわからず、夫のここがいけないのだと悪いところばかりを見つけていました。原因は相手の中にあると思いこんでいたので、そこを改善すれば良いのだと考えていたのです。相手に文句を言っているうちは、真実は何もわかりません。イラ立ちも虚しさも、悲しみも、みんな自分の心の中で起こっていることだからです」
→「イラ立ちも虚しさも、悲しみも、みんな自分の心の中で起こっていること
とても重要ですね。

「人間の脳には、ネガティブをクローズアップして記憶するという防衛本能がある。愛された記憶を見えない所まで押しやり、もうネガティブなことしかなかったように、大きく事実が塗り替えられる」
→一部分の問題で多くの良かった部分はなかったかように他人や組織を否定する人がいましたが、理由がわかりました。こういう脳の特性があるのですね。

「出来事自体に良い悪いはなく、持っている感情が自分を苦しめている」
→どう受けとめるか。解釈力のことですね。

「全部自分の中で起きているという真実を知る」
→すべては自分次第ということ。

「相手の言動がイヤだと感じたら、それはすべて自分の心にあるものだと認めることから始めます。そして、受け入れ、感謝とともに手放す」

「コミュニケーションの原則
”自分を理解した分だけ相手を理解できる”
”自分を受け入れられた分だけ相手を受け入れられる”
自分のことを知らないままでは、他の人と良いコミュニケーションが取れない」



以上のように、素晴らしいことがたくさん書かれています。

以前ご紹介した、ほんもの寺子屋で定めている十五訓。
その中に「人のせいにしない」があります。まさに、そのこと=「すべて自分次第」が具体的に書かれていました。
幸せに生きていく上で、とても大切なことだと思います。
素晴らしい本に出逢えて、学ばせていただきました。松咲さん、ありがとうございました。


片目生活9日目に思うこと

2025-01-05 | ほさか式幸せ生活

昨年12月に目の緊急手術をしてから9日となりました。
多くの皆様からご心配をいただき、本当にありがとうございました。

手術は成功しましたが、まだ片目が見えない状態=片目を閉じた状態=片目での慣れない生活で、色々考えたり、感じることがありますし、見えるほうの目だけで見るので疲れるのか、昨日と今朝は体調がいまひとつでした。
元々、強度の近視なので、眼鏡無しで片目だと生活が難しいですが、両目が見えない方もいらっしゃって、そういう中でも生き抜いていかれるのは、すごいことだと思います。
私自身が両目が見えなくなったら、どう生きるだろうか、など今まで考えなかったことも考えたりしました。

私は、時々ダウンすることもありますし、足の5箇所骨折も経験して、健康であること、五体満足の有難みは身に沁みてわかっていたつもりですが、片目が見えないことを体験して、やはり両目が見えることがいかに有難いか、両目が見える状態に比べると、色々と不便になることを思い知らされることになりました。2~3日なら少しの辛抱という感じですが、9日となると、「早く見えるようにならないかな」という氣持ちも出てきます。
医師の説明によると、そろそろ見えるようになってもよい頃で、見えるようになるのが待ち遠しいです。
文字通り、世の中も「明るく見える」ようになると思います。

最近読んだいくつかの本で、「自分を大切に」「自分を愛す」「自分に優しく」という内容に連続して出会いましたから私に必要なことなのかと思いましたし、「自分に甘く」という内容もあり、「自分に厳しく」のほうが良いと思っていたので、ん!となりました。
日本に対する危機意識は20代の頃から持っていましたが、感染騒動からは、さらなる「日本存亡の危機」ということで、自分を犠牲にして動いてきたことろは確かにあります。目の手術をすることになったのは、何か意味があることで、私への伝言なのだと思いますし、「すべては自分次第」ということも改めて感じています。

また、以前読んだ本で、以下のような内容のものがありました。
「望みや希望を挙げてみてください。例えば、こうなりたい。アレがほしい。など。
でも、それらを叶えれらるのと、目が見える、歩ける。聞こえる。
どちらが大事ですか?と聞かれたら、
目が見える、歩ける、聞こえる。のほうが大事ではないですか。
本当に大切なものは、すでに与えられている」
という話です。

今のご時勢では、「食べていけない」という切実な悩みもあると思いますが、悩み相談の97%が、「家族が~」「上司が~」など、他人のことだと聞いたことがあります。昔、「小さいことにくよくよするな!」というベストセラーもありました。
多くの人が悩んだり、苦しんでいることの多くが、「目が見えない」とか「歩けない」、能登のように、地震と水害の二重被災などと比べれば、小さなことであり、贅沢な悩み=「贅沢病」のようなものではないかと思います。

個人としては、今の暮らしに感謝をし、幸せを感じて生きています。
子ども達や社会や地域・日本のためには、良い方向へ転換できるような、日々の選択や行動を積み重ねていくことと、一人ひとりが「幸せに氣付く」こと、両方が必要だと考えています。


「地元店で、現金で、国内地域内のものを買う」令和7年国民運動

2025-01-02 | 八方良しを目指して

「令和7年は行動・実践の年へ」と大晦日に書きました。
私達の暮らしを守り、地元や日本を元氣にする具体的な行動・実践をしていきましょう。
それは、「地元店で、現金で、国内地域内のものを買う」こと、食事をするのであれば、「地元店に行き、現金会計」です。

時代は、ネット・キャッシュレスへという風潮ですが、これは外資や大企業のための誘導です。ネットで購入することもキャッシュレスも、共に地域からお金が流出してしまいます。外国製のものを買うのも当然、お金が海外に流出し、日本人の仕事が無くなっていきます。
要するに、「ネットで、キャッシュレスで、外国製のものを買う」、この3つは、すべて地元の富を流出させてしまう=地元を貧しくする行為で、自分で自分の首を絞めていることになります。
「簡単・便利・早い・安い・楽・ポイントで得をする」
↑これは「今だけ、金だけ、自分だけ」という買物の仕方なのです。自分の行動が社会・地元・日本にとって良いことなのか?という視点が抜け落ちています。
自分の選択が、今のように生活が楽にならない原因となっていることを知る必要があります。

そろそろ、低価格の高い買物(=富の流出、バケツに穴を空けている)をしてしまっていることに氣付き、富を流出させない高いように思えるけれども実際は安い買物(バケツの穴を塞ぎ、国内地域内で循環させる)に転換することが大切です。

チェーン店や外資の店で買物をするのと地元店で買物するのは、お金の使い方の意味が違いますし、「現金払い」と「キャッシュレス」、「日本製のものを買う」のと「外国製のものを買う」のも意味が違います。
最も重要なのは、「漏らすか、漏らさないか」「流出させるか、循環させるか」です。

食事をする場合でも、チェーン店で食べれば、支払ったお金の何割かは県外に行ってしまいます。
地元店で食事する場合も、1000円の昼食を食べた時、現金で払えば1000円お店に入りますが、キャッシュレスで払えば、960円など、お店に入るお金が減ってしまうだけではなく、40円は県外に流出します。
キャッシュレス会計は、お店の人に「損してね」と言っているのと同義です。大企業の店は、キャッシュレスでも手数料は低い%でしょうが、小さなお店は手数料の%が高いです。
年間売上げ5000万円のお店が、仮に3%の手数料を取られたら、年間150万円利益が減るのです。
150万円ですよ!とんでもない大きな金額です。150万円あれば、当店の品物、買い放題です(笑)。
キャッシュレス会計の割合が増えると、お店は収入が減りますので、1000円ではやっていけない、となり、同じ昼食が1050円に値上がりします。キャッシュレス会計が増えると、値上げの原因となるのです。

事実として、ネットで本を買う人が増えたため、本屋さんがどんどん減っています。
冨が県外・国外に流出し、地元の店が無くなり、地元の人が仕事を失い、物価が上がります。
日本は、このようなデジタル赤字が5~7兆円と言われています。

今日から皆で、マイナスの行動・選択→悪循環から、プラスの行動→好循環となる「地元店で、現金で、国内・地域内のものを買う」を実践し、国民運動とし、地域・日本・私達の暮らしを守っていきましょう!


謹賀新年

2025-01-01 | 八方良しを目指して

明けましておめでとうございます
本年もよろしくお願い致します!

人生で初めて、片目がほぼ見えない状態で新年を迎えました。回復には少し時間を要します。手術の影響で禁止されていた洗髪・洗顔を昨日4日振りにしました。やはり氣持ちが良いです。

昨年、一昨年は、個人的にも店の大切な取引先の輪島でも大変なことが続きました。
輪島で被災した方は、「何か良いことはなくてもいい。前みたいに普通に暮らせれば」と仰っていました。
一昨年の骨折もありましたし、五体満足、制限なく暮らせること、今日生かされていることの有難みを改めて感じます。

今日は、雲ひとつない快晴で、綺麗な富士山、甲斐駒ケ岳、八ヶ岳を見ながら初日の出を拝むことができ、今年こそは、個人的にも日本も大転換の起点の良い年になるという予感がしていますし、そうなるように努め、動いていきます。

輪島復興の願いも込めて、知人のプロの方にお願いして輪島塗三段重に、無添加のおせち料理詰めていただき、美味しくいただきました。

「協力は強力」
皆様と力を合わせて、楽しみながら「八方良しを目指して」、前進していければ、と思っています。




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