昨年12月に目の緊急手術をしてから9日となりました。
多くの皆様からご心配をいただき、本当にありがとうございました。
手術は成功しましたが、まだ片目が見えない状態=片目を閉じた状態=片目での慣れない生活で、色々考えたり、感じることがありますし、見えるほうの目だけで見るので疲れるのか、昨日と今朝は体調がいまひとつでした。
元々、強度の近視なので、眼鏡無しで片目だと生活が難しいですが、両目が見えない方もいらっしゃって、そういう中でも生き抜いていかれるのは、すごいことだと思います。
私自身が両目が見えなくなったら、どう生きるだろうか、など今まで考えなかったことも考えたりしました。
私は、時々ダウンすることもありますし、足の5箇所骨折も経験して、健康であること、五体満足の有難みは身に沁みてわかっていたつもりですが、片目が見えないことを体験して、やはり両目が見えることがいかに有難いか、両目が見える状態に比べると、色々と不便になることを思い知らされることになりました。2~3日なら少しの辛抱という感じですが、9日となると、「早く見えるようにならないかな」という氣持ちも出てきます。
医師の説明によると、そろそろ見えるようになってもよい頃で、見えるようになるのが待ち遠しいです。
文字通り、世の中も「明るく見える」ようになると思います。
最近読んだいくつかの本で、「自分を大切に」「自分を愛す」「自分に優しく」という内容に連続して出会いましたから私に必要なことなのかと思いましたし、「自分に甘く」という内容もあり、「自分に厳しく」のほうが良いと思っていたので、ん!となりました。
日本に対する危機意識は20代の頃から持っていましたが、感染騒動からは、さらなる「日本存亡の危機」ということで、自分を犠牲にして動いてきたことろは確かにあります。目の手術をすることになったのは、何か意味があることで、私への伝言なのだと思いますし、「すべては自分次第」ということも改めて感じています。
また、以前読んだ本で、以下のような内容のものがありました。
「望みや希望を挙げてみてください。例えば、こうなりたい。アレがほしい。など。
でも、それらを叶えれらるのと、目が見える、歩ける。聞こえる。
どちらが大事ですか?と聞かれたら、
目が見える、歩ける、聞こえる。のほうが大事ではないですか。
本当に大切なものは、すでに与えられている」
という話です。
今のご時勢では、「食べていけない」という切実な悩みもあると思いますが、悩み相談の97%が、「家族が~」「上司が~」など、他人のことだと聞いたことがあります。昔、「小さいことにくよくよするな!」というベストセラーもありました。
多くの人が悩んだり、苦しんでいることの多くが、「目が見えない」とか「歩けない」、能登のように、地震と水害の二重被災などと比べれば、小さなことであり、贅沢な悩み=「贅沢病」のようなものではないかと思います。
個人としては、今の暮らしに感謝をし、幸せを感じて生きています。
子ども達や社会や地域・日本のためには、良い方向へ転換できるような、日々の選択や行動を積み重ねていくことと、一人ひとりが「幸せに氣付く」こと、両方が必要だと考えています。