今日も子育て・教育の本を取り上げます。寺子屋をやり始めてから、子育て・教育の本をたくさん読むようになりました。子どもが産まれる前、寺子屋を始める前に、もっと読んで学んでおくべきで、反省しています。
森先生は、日本を代表する哲学者・教育者のお一人で、私も何冊かご著書を拝読しています。
明治29年生まれですから、社会状況が今とは違い、共働きという前提が無い時代のご意見ですが、時代が変わろうとも不変の原則・真理というものは在り、基本として知っておいたほうが良いことがたくさん書かれています。
今の日本では、「時代錯誤」などと批判を浴び、炎上するかもしれません。しかし、道を究めた偉人の集大成とも言えるご見解を、大切に、謙虚に、冷静に受け止め、考えられれば、と思います。
そもそも、子ども達のことを考えた時に、共働き(家業を一緒にやるのと、外に勤めるのは違う)が当たり前になっている社会自体がどうなのか?という根本的な問題も考える必要があります。
ー
「人間教育の真の基礎は家庭。8、9割までは母親の責任 家庭教育の根本は躾から始まる」
→小学生になる前の家庭での生活がとても大切なのだと思います。
「躾の3か条 挨拶・返事(我がとれる)・履き物と椅子」
「母親は御主人に朝の挨拶をはっきりする。御主人から呼ばれたら必ず「はい」と返事をする。
できないということは「我」が抜けていない何よりの証拠。子どもがいうことを聞かないのも当然。躾の問題は、これらができるかどうかが、その分かれ目。」
「子どもに父親軽視を仕込んでおいて、子どもの人間教育なんて、まったく笑止千万。父親を立てよ。」
「我が子が可愛いのでしたら、父親軽視の言葉や態度は絶対に根こそぎにしなくてはなりません。」
→父親を立てることが、子どもにとって大切なことであり、そのほうが母親も楽、という基本が、忘れられているように思います。このような内容は、現代では、反発されたり、嫌われたり、批判の対象になりかねない、炎上しかねない、ような社会になっているので、皆、心の中で思っていても、言わない、言えない。
こういうことを自由に言えないのは、非常に危険なことだと思い、敢えて掲載しました。
「父親は子どもからはもちろん、妻にさえ、十分に理解してもらえない存在」
→よくわかります(笑)。
「非行の根本原因は家庭が正常でないことに尽きる」
「一番大きな問題は、親が年頃の子をむやみに叱ること。いま一つ重大な問題は、「子どもの前では絶対に夫婦喧嘩をしない」。以上の2つは家庭生活上の最大のがん。」
「一切の人間関係にうちで、夫婦ほど忍耐心を必要とする人間関係はほかにない」
「子の教育には、母親は絶大な忍耐力が要る」
「忍耐こそ、諸々の徳行の基盤で、これができてないと物事を成就することができない。
親御さん自身が、非常に強い忍耐心を持つことが必要」
→忍耐できない世の中になっていると思います。そういう訓練を子どもの時にあまりしないですね。
(前にも書いたように、「忍耐・辛抱」と「我慢」は違うものと考えています)
「腰骨を立てる この一事を子どもに躾けられたら、親としてわが子への最高最大の贈り物」
→寺子屋でも「立腰」に取り組んでいます。(まだまだ、できていませんが)
「兄弟の比較は禁句」
「家庭学習の一番の土台は、小学1・2年では、国語の本を毎日必ず朗々と声を出して読む。
この事がいかに大事かということのわかる人は極めて少ない。毎日必ず親子が代わり番こに読む。
親が1ぺん、子が1ぺん、代わり番こに各々20回以上読む。1つの事柄を徹底的にすることにより、人間としての性根がピーンと立つ」
→書かれているように、実践している家庭は「極めて少ない」でしょう。
「飢餓感、ひもじさを体験させる」
「食事抜きの日、粗食の日をつくる」
→「足りない状況を創るのが教育」と聞いたことがあります。現代は与えすぎでしょう。
「ひとつのことを徹底して続けさせなければ効果を発揮しない」
→いつも言っている「継続は力なり」
「仏壇に合掌・礼拝を家風として存続し、墓参などには必ず子どもを同伴する」
→ご先祖様への感謝もとても大切ですね。
「9つ褒めて1つ叱れ。教育とはやる氣に火を点ずる努力。腰骨の立った人間にする以外に手は無い。「立腰教育」を実践し、驚くべき甚大な教育効果を挙げた。人間教育は、家庭が中心。親御さん方の自覚。ほめることは相手を受け入れ態勢にさせるコツ。」
「日本の社会が、子ども達を不必要に甘やかしている」
→同感です。
「娯楽ゲーム(テレビゲームなど)に近づけるな」
「家庭教育について最も憂慮に堪えないのは、テレビ問題。
番組内容から受ける子への「心の公害」に至っては、戦慄を禁じえない。
テレビのために子ども達はますます読書の習慣から縁遠い人間にされている。
読書は積極的な集中力を必要とするものですが、テレビは受動的消極的で何らの努力もしないふぬけ人間に子ども達を変えてしまう、実に恐るべき悪魔の魔術の現代版。テレビこそは、家庭学習を妨げつつある最大最強敵。教育上最大の公害=テレビ公害」
「テレビ対策5か条をどこまで守れるかが、その子の一生の運命の分かれ道となる
①幼児にはテレビには絶対に近づけない
②子どもは見るとしてもテレビ30分を厳守
③宿題がすむまでは絶対に見ない
④チャンネルは祖父母、父親の選択を第一に
⑤テレビは応接間か祖父母・親の部屋に
週に1日テレビ断食。五箇条を守れるかどうか、子の一生の運命の分かれ道」
→電磁波による健康や脳の発達への悪影響、目に与える影響、教育面など、デジタル機器の弊害は多岐に渡り、深刻な状況だと考えています。
「教育には焦りは禁物。近道はない。」
「母親としての真の愛情が身に付くためには、まず母親自身が人間としての「魂の開眼」が必要。「絶大な忍耐心」というものは、人間革命=「我を捨てる」なくしては絶対に不可能。我を捨てる一番の着手点は、御主人から呼ばれたら、爽やかな声で「はい」という返事をすること。母親としての人間革命にはこれに勝る道はない。
母親の「はい」という「我」を捨てた一語の威力たるや、いかなるものも及ばぬ絶大な効果を発するのでありまして、これこそ真に知る人ぞ知る無上の真理。どうして母親の「はい」の一語がかくまで偉大な力を秘めているのでしょうか。「はい」の一語に諸徳の根源とも言える「敬愛」という根本精神が込められているから。御主人に呼ばれた時の「はい」の返事には敬の一念がおのずからこもり、お子さんに呼ばれた時の「はい」の返事には、愛の一念が含まれているから。この敬愛こそは生命の呼応循環の根本原理だから。」
→以前、「自分なくし」ということを書きました。
母親に限らず、「我」を捨てることは、生きていく上でも、教育面でも大切なことだと思います。
「知る人ぞ知る無上の真理」をほとんどの人が知らない状態ではないでしょうか。
「母親の方々に特に厳しく説きますのも、母親は家庭における偉大な大業の責任を持っているから。
無自覚な女性の被害を最も深く受けるのは、小さな子ども達。」
「女性の徳として最も大事なことの1つは、昔から「堪え忍ぶ」ことが貴ばれてきたのは、女性は常に自分の激情を抑え、家族全員の心を吹き荒らすことのないことが何より大事だから。心ある人々によって「女性は家庭の太陽である」と言われるのも、実はこうした真理をいう。女性は「家庭」という王国にあっては、まるで太陽のように、家族全員の心を温めて、生命を育むこと、太陽のようなものだというほどの意味。」
→「女性は家庭の太陽」、同意です。
「女性の幸福とは、夫をして後顧の憂い無く雄々しく敢闘させるとともに、子女を健全に育成するという任務を立派に果たすこと。こういう幸福感こそは、女性の幸福感として最も本質的な原形というべきかと考えるのですが、この頃ではこの原形からかなり逸脱し、変質しかけてきた傾向が見られるようですが、これは戦後アメリカ文化の皮相を移入したことが原因と思われまして、誠に深憂に堪えない次第。
女性は、家庭における太陽であるとともに、民族における「大地」にも比するべきもの。子を産みかつ育てるという民族の神聖な使命を負わされているがゆえです。したがって、女性の弛緩は民族の弛緩となり、女性の変質は民族の変質につながります。いうなれば、民族の将来は女性の在り方如何によって決まると言っても決して過言ではない。」
→子どもを産み育てる、人類の最も重要な仕事だと思います。
編者 寺田一清氏の文
「「躾の3か条」だけについても、そこに至るまでの森先生(83歳)ご自身の永年にわたる学問と実践とに裏付けられているわけでありまして、そこにはまだ多年に及ぶ全国講演行脚において接せられた幾百幾千という多くのご父兄の方々の悩みに当たられた、その結論とも申してよく、まさに彫心鏤骨の結晶。それがいかに絶大な威力を持つものかということは、真剣に取り組んだ人のみが知る。
この本は、世間にありふれたいわゆる綺麗事の家庭教育論とは違い、ただちに実践につながる書物であり、真に「宝典」の名にふさわしいと申せましょう。」
「見逃しやすい平凡事のうちに、不変の真理の基盤が秘められている。
本書が、日本における家庭の再建に役立ち、ひいては日本民族の将来に、希望の光をもたらす機縁ともなるであろうとひそかに確信する次第であります。」