『「八方良し」を目指して』に書いたように、私は、3度の飯より野球好き、というくらいの野球少年でしたし、大人になってもソフトボールのチームで長年プレーしていましたので、野村さんがお亡くなりになったのはとても残念です。
野村さんが三冠王を取った頃は、まだ私は産まれていませんので、最盛期をリアルタイムで見ることはできませんでしたが、選手として偉大な成績を残したのはご承知のとおりです。
ただ、特筆すべきは日本のプロ野球選手の中で最も引退後の活動で日本の野球界に貢献した方ではないか、ということです。
よく、「名選手、名監督にあらず」と言われますし、名選手だから解説が優れているとも限りません。選手としての能力と指導者・策士としての能力、解説の能力はまったく別のものだからです。
その点、野村さんは監督として、投手の分業制を確立させたり、弱小チームを日本一に導いたり、古田敦也捕手や石井一久投手、田中将大選手などを一流選手に育て、野村再生工場とも言われたように、小早川毅彦選手や山崎武司選手などたくさんの選手を復活させました。
「金を残すのは下、仕事を残すのは中、人を残すのが上」という言葉通り、人財を残したのです。野村さんの教え子が、監督や指導者になり、日本の野球界のレベルを向上させ、盛り上げています。
解説者としても、野村スコープで配球の戦略を世に広めました。
「野球は頭のスポーツ」「野球は頭が8割」「ID野球」など、考えることの大切さを浸透させました。この功績はとてつもなく大きく、日本の野球を強くしました。日本は、WBCで2連覇、昨年のプレミア12でも世界一となりましたが、野村克也という野球人がいなければ、これら3回の日本一は実現しなかったと思います。