「一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。」
3.11で政官財中央メディア御用学者は、グルで嘘をつく、と学んだのではなかったですか?
何度も同じ手口で騙されるのは、学習能力が無い、罪、と言われてもやむを得ないでしょう。
「新型コロナ感染拡大防止のため」と言えば、人権侵害から「新しい生活様式」のような馬鹿げたことまで何でも通ってしまう。鵜呑みにする怖さ。反対できない怖さ。まるで「コロナ真理教」です。
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以下、湯澤友康さんの投稿より。
『静かに蔓延するナチズムは、新型コロナウイルスよりも怖いと思います。
美浦克教様のブログ記事を紹介させていただきます。
ゲーリングの言葉(本文より一部抜粋し引用)
「もちろん、国民は戦争を望みませんよ」ゲーリングが言った。
「一般国民は戦争を望みません。政策を決めるのはその国の指導者です。そして国民はつねに、その指導者のいいなりになるよう仕向けられます。国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。このやり方はどんな国でも有効ですよ」
ジョセフ・E・パーシコ(Joseph.E.Persico)
「ニュルンベルク軍事裁判」上・下(白幡憲之訳、2003年原書房刊)下巻より引用。
-----(引用はここまで)-----
ゲーリングの言葉の後半部分
「国民にむかって、われわれは攻撃されかかっているのだと煽り、平和主義者に対しては、愛国心が欠けていると非難すればよいのです。」
これを一部言い換えてみましょう。
「国民にむかって、新型コロナウイルスに感染したら大変だと煽り、反論するものに対しては、自分が感染源になって周囲のひとに迷惑を掛けたらどうするのだと非難すればよいのです。」
現実とかなり重なっていると思います。政治家もマスコミも「コロナとの戦い」とか「コロナとの戦争」とか騒いでいますね。新型コロナウイルスで恐怖を煽り、その裏側では色々な法案が審議されていましたが、検察庁法や種苗法の改正についても審議されるようですね。非常事態宣言の中、不要不急の外出を控えるように国民に求めておりますが、コロナ対策の審議よりも優先されるべきことなのでしょうか?
この法案に反対する人たちが集会やデモを行わないように、不要不急の外出の自粛をマスコミが叫んでいるというのは考え過ぎなのでしょうか。
後になって「マスコミに騙された!」なんて言っても、後の祭りですよね。
こちらのブログの後半に書かれている「だまされることの罪」も大いに頷ける内容です。
だまされることの罪(本文より一部抜粋し引用)
戦争が終わって、みな「自分はだまされていた」と言うけれども、だまされた人間も実は別の人間をだましていたこと、そうやって日本中がだましだまされ合っていた、ということです。
だまされるということはもちろん知識の不足からもくるが、半分は信念すなわち意志の薄弱からくるのである。
また、もう一つ別の見方から考えると、いくらだますものがいてもだれ一人だまされるものがなかつたとしたら今度のような戦争は成り立たなかつたにちがいないのである。
つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた(たとえ軽重の差はあるにしても)当然両方にあるものと考えるほかはないのである。
そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。
一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。
国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱(せいじやく)な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである。
-----(引用はここまで)-----
如何でしょうか。
戦中の日本は、大本営発表を信じて戦争をしたと多くの国民が思っているでしょうが、今の日本は違っていると言えますか?騙されたと言い訳するのではなく、騙されないように情報を集めて冷静に現状を見ていきたいと思います。』
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ここからは、私が紹介する記事です。
「安倍首相が重要な演説をするたびに、全国放送のNHKで「解説」し、受け手の国民の理解や認識を「安倍晋三氏の望む方向へと誘導する」岩田明子氏の影響力は、社会的に無視できないレベルのはずだろう。
なぜ同業他社はこの「権力の手先」と化した公共放送職員を「国民への背任」として批判しないのか。」