「人は皆違う」
これは普遍の真理だと思います。
それなのに、真夏に皆が増す苦(マスク)をしている。これほど怖いことはないと思います。
人は皆違うのに、「人と同じでなければいけない」という真理に反したことを押し付けられるのが日本社会の最も大きな問題の1つであり、生きづらさ、息苦しさの原因だと思います。
違法のはずですが、公共施設や店などで増す苦をしないと入れない、入店拒否されるというとんでもないことが現実に起きています(私の店では、暑くなってからは外すようにお伝えしています)。
特に子ども達に夏につけさせるのは論外で虐待と言えます。
あるお母さんの投稿
「小3の娘も毎日帽子とマスクの間から目だけを出して、
制服のシャツのボタンもきっちり留めて重いランドセルで背中は焼けるように暑い中
毎日汗びっしょり半泣きで帰って来ていました。
学校に話すと、登下校中友達と1メートル以上
離れて歩くならマスクを取っていいと子供達には指導しましたと言われましたが。。
小さな子供達に1メートルの距離感もわかるわけもないですし、
仲良しのとお友達といっぱいおしゃべりしたいから出来るだけ並んで歩きたいから
やっぱりマスクを毎日つけたままの帰宅。
なんの拷問でしょうね。
短い20日間もないこの夏休み中も唯一のプールも閉鎖、
友達とも遊べず本当に一番の犠牲は子供達ですよね。。」
増す苦は、理不尽なことでも日本人がどこまでに言いなりになるか、という実験と、相手のことを思いやる氣持ちを逆手に取られているように思います。
これだけ有効だと、コロナ茶番の大きな目的の一つ、ワクチン接種も大半の人が受けてしまうでしょう。
あらゆるワクチン接種が危険を伴うこと、今までに悲惨な被害が多発していること、チップが混入される可能性があることはご存知のとおりで、「皆が打つから」という理由で打つことは取り返しのつかない結果を招くでしょう。
添付のとおり、自分の考えや意思を持たない、持てない、ということはとても恥ずかしいことだと思います。
人と違う(例えば一人だけ増す苦をしていない)からといって、何も恥じることも、引け目を感じることもなく、堂々としていれば良いのです。
無難に間違ったことに合わせるのではなく、危険なこと(夏場の増す苦)を見て見ぬふりをするのではなく、「間違っていますよ」「危ないですよ」と伝えてあげるのが本当の愛だと思います。