コロナ茶番により、子ども達は、卒業式・入学式ができなかったり、「友達に近づいてはいけない」と言われたり、休校で夏休みが短くなったり、色々な大会が中止されたり、大学に通えなかったり、危険なのに酷暑の中増す苦を付けさせられたり、アルコール消毒をさせられたりしています。
今もNHKでアナウンサーが、「感染拡大が止まらない」と堂々と嘘を言いました。
墓参りも行かないとか、一人陽性者(感染者ではない)が出ただけで、営業の停止とか、試合中止とか、いつまでこんな馬鹿げたことを続けるのか?
何度も言いますが、風邪は無くなりません。インフルエンザ、ワクチンもクスリもあってもなくなりません。
陽性(感染ではない)=悪、として報道することをやめなければ、永遠に不自然で自由が無い暮らしをしなければいけません。
コロナを恐怖の感染症に仕立て上げ、その説を鵜呑みにしたり、不自然でおかしく有害な対策に盲従することは、子ども達を苦しめ、虐待していること、多大な悪影響を及ぼしていることになります。このままでは危険なワクチンを子ども達に接種させることになってしまうでしょう。
「仕方が無い」「しょうがない」と言う人が多いのに驚きます。
インフルエンザ、またはそれ以下と考え、普通に暮らせばいいだけなので、仕方が無くありません。
もうこれ以上、子ども達を犠牲にするのはやめるのが大人の責務ではないですか?
一番買ってはいけないネット企業。随分儲かっているみたいです。
「GAFA、3社が増益確保 4~6月期、アマゾンは過去最高」
次はワクチンで企業が莫大な利益を得るでしょう。
ラルフ・ワルド・エマーソンの言葉
「Fear always springs from ignorance.=恐怖は常に無知から生じる」
以下、船木威徳医師も書き続けてくださっています。
私も同じ想いで続けています。
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「なぜ、私が書くのか。
『安全で、平和で、公平で、健康な、幸せな』
社会生活を実現させようと、願っているはずの
『ほとんどすべての』人たち」ではない【それ以外の者たち】に、
絶対に、絶対にだまされたくない、だまされて欲しくないから。」
「マスコミ関係者を嫌っているわけでも政治家を嫌っているわけでも
「テレビと言っていることが違う」と私にメッセージを送ってくる人を嫌っているわけでもありません。
もっと、もっと、大きな力を持つ者たち、彼らのあまりにも病的で異常な思想の前に
この世界に生きる人たちとその生命や、権利を損なうことをなんとも感じない者たちが確かにいることを、(過去の歴史を細かく学び、毎日の様に起きている不幸なできごとに残る証拠や証言を詳しく見てゆくと、)認めざるを得ないと考えるからなのです。」
「「ほとんどすべての」まともな人たち、にとって、いま、あらためて、重要だと念を押すべき点は
私たちの目指すところは、常に、これからも
『安全で、平和で、公平で、健康な、幸せな』社会生活を実現させることであって、議論に勝負をつけることでも、ましてや、社会がいまだ最善の策を見いださない中、その意見によって分派、分断されることでもないということです。」
「「ほとんどすべての」人たちの共通の願いである
「安全で、平和で、公平で、健康で、幸せな」社会生活を実現させるためには、
私たちは絶対に「自由」でなければならないし
それを全く望んでいない【それ以外の者たち】の巧妙な誘導を、注意深くあぶり出していかなくてはなりません。
そのためには、私たちが、自分で学び、自分で考え、自分で意見すること。
これが真実だと教え込まれてきたことを、今一度、納得のいっていないところから自分で勉強することです。
特に、経済・税制(お金)、教育(歴史)、政治、医療(薬)、食糧(農業)、マスコミや、防衛(戦争・紛争)、人間心理、宗教について、特に生活における眼の前の問題は、深く学ぶとその出所が同じもの、同じ人間たち、同じ地域に始まっているらしいことが見えてきます。
巧みに吹き込まれる「ウソ」を見抜くこと。
特に、私の記事によく書き込まれることで、
「社会の弱者は、がんばっても自力で情報を集め学ぶことができない社会になっている。それでも自分で学べというのは、弱者を見下した考えだ・・・」
というのがありますが、とんでもない勘違いか、意図して発言しているなら、「弱者」の味方を装った、非常に悪質な意見だと思います。
歴史上、力がある者が、多くの人たちを支配してゆくうえで、懲りずに繰り返し言うのは
「○○の言うとおりにすれば安心だよ。難しいことを考えなくていいから、心配しないで、○○の言うことを信じてついてくればいいのだ。考えても分からないことに悩むのは愚かだ。そして、○○の言うことに反抗する者は、弱い人たちの敵だから、みんなで排除しよう。」というものではないでしょうか。
【それ以外の者たち】は、私たちに、簡単には姿を見せません。
その直接の実働部隊になっている「○○」たちにたいていの仕事をやらせている、と私は見ています。
もしそうだとしたら、「○○」は誰でしょうか?
本当に、これまで、私たちの命や生活に関わる、本当に大事な選択の場面で「○○」たちの決めた通りにしてよかったことばかりでしょうか?」
「一生懸命、学び、考えて、意見する人には 同じように学び、考えて、意見する仲間が集まってくるからです。これも、これまでの歴史であきらかな事実です。私たちは、弱くても、決してひとりではない。少なくとも私は、そう考えています。」