今の日本は、「外出するな」「自粛しろ」「人と会うな」という全体主義が、私達の精神を萎縮させ、行動を制限されています。
これ、いつまで続けますか?
過剰自粛を続けることによってこれから起きる弊害と被害の大きさを想像できていないのだと思います。
個人商店・中小企業・地元企業が潰れ、大企業・外資だらけになって、日本は焼け野原のようになります。
日本の物造りも壊滅的な打撃を受け、経済的破綻による自殺者が増えるでしょう。
多くの人の暮らしが破壊され、人生が狂わされるでしょう。
自分は関係ない。大丈夫、と思っている人にも影響は及びます。
ワクチンの強制接種が始まり、従わない人は、白い目で見られ職場や学校に行けなくなるでしょう。
5Gが普及することにより、あらゆる病氣と死者が増えるでしょう。
多くの人がそのような政策を推し進める政府の言いなりになっています。政府やマスメディアだけが悪いのではなく、それに盲目的に追従すること、沈黙することも非常に危険なことだ、と一人でも多くの人が氣付き、行動に移すことが今の危機の被害を最小限にするために必要だと思います。
もちろん良い方向へ進むために、投稿を続けています。
以下に、整体師・西田聡先生の投稿をご紹介します。
【武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり】
日本は、本当に良い国だ。それは、日本人ならではの特質が基盤になって、形成や醸成されたものだと思う。日本人らしさを思いつくままに列挙すると、几帳面、真面目、正直、素直、勤勉、柔軟、親切、温和、利他の精神、感受性が豊か、手先が器用、頭がいい、識字率が高い…などなど。
しかし、現時点の日本を眺めていると、これら全てが逆手に取られ、巧みに利用され、そのことが日本の国の良さを壊滅的に損ねることにつながっていると強く感じる。その結果、日本人は、自ら破滅に向けての歩みを進めているように、私には見えるのだ。
江戸時代以降の日本人らしさを支えていたのは、武士道ではないかと思う。武士道とは、特定の階級や職能としての武士に限らず、社会生活を営む人間としての心得やあり方を示したものであり、それゆえに冒頭にあげた日本人らしさが顕現し、強調されて来たのだと思う。
武士道は、日常的に命のやり取りを余儀なくされた戦国時代に編み出された武術(兵法)が発端となっている。武術とは、どんな状況にあっても相手を無力化し(殺傷し)、生き延びる術であるが、それが「いかに生きるか」という知恵や教えに転じ、昇華したのが武士道だと私は理解をしている。
冒頭の言葉は、江戸中期に書かれた「葉隠」という書物の有名な一文である。生と死は裏腹の関係にあり、生きている以上は、常に死は共にあるのだ。つまり、いつ死ぬかなど、誰にもわからない。ゆえに、信念と覚悟を持って、一所懸命に生きることが大切だと説いていると私は解釈する。
しかし、昨今の新型コロナウィルス騒動の様子を見ていると、本当に情けないありさまだと感じる。国民の大半が、政治屋(政治家とは呼べる人種ではない)と、彼らの飼い犬がごときマスコミに扇動され、さして殺傷力のない小さな小さなウィルスに恐れおののき、自宅にこもる。
命を守るための自粛?笑わせるな。そんなもの詭弁である。要請された自粛による活動停滞により、どれだけの人間が仕事を失ったり、廃業に追い込まれるか、考えているのか?それにより、どれだけの人間が自殺を余儀なくされ、犯罪に巻き込まれるか、想像をしているのか?
自粛とは、本来は自発的に行うものであり、要請されてするものではない。そのおかしさに気付けないか?高齢者や病人に気遣うのはいいが、一方で未来ある若者や子どもたちの生活を台無しにしていることをどう考えるのか?自分たちで自分たちの首を絞めていることが、まだわからないのか?
新型コロナウィルスは、感染力は強いが、一方で重症化しにくいという特徴を持つ。だから健全な人間は、どんどん感染すればいいのだ。そうやって集団免疫によって終息させていくという選択肢もあるのだ。しかも、今後も新たなウィルスは次々と発生する。
もしかしたら、私のような高齢者(一歩手前だが)は感染によって重症化し、苦しい思いをするかもしれない。最悪、死ぬかもしれない。しかし、そうやって一部が犠牲になり、種族の存続を優先させることは、自然界には当たり前に存在する知恵であり営みである。
少なくとも過剰な自粛によって、若者が働き、楽しむ場所を奪ったり、子どもたちが学び、遊ぶ場所を奪うべきではない。何よりも、人と人とが良好な関係を保つための接触の機会を奪うべきではないと、私は強く思う。疑心暗鬼を生ずることも、大いに懸念すべきである。
このまま、本来の日本人らしさを捨てた(日本人ではない人間も多いと聞く)薄汚い政治屋たちに、私たちの未来を委ねてしまうのか。飼い犬のマスコミに怯え続けるのか。それとも武士道精神を取り戻し、一人ひとりが立ち上がるのか。現在は、本当に大きな岐路にいると感じてならない。