世界中でコロナファシズムが極まっています。
「恐怖・被害を大幅に誇張した風邪」を理由に、人権と自由が奪われ、失われなくてよい命が奪われ、超管理社会へまっしぐらに進んでいます。こんなことは絶対に許してはいけません。
今のマスメディア・政治家・行政に従うことは、1%の支配者に加担・協力し、善良な市民・国民・子ども達・学生・若者を苦しめ・傷つける犯罪行為を犯していることになります。
もういい加減に、世界中で政府が機能せずに支配者に操られていることに氣付かねばいけません。
各国の政府が本当に国民のために機能しているなら、世界中でこのような滅茶苦茶な政策が取られるはずが無いのです。
日本人で日米合同委員会の存在を知っている人、何割いるのでしょう?経団連も外資だらけでしょう。経団連から献金を貰って政策が決まっているのです。
主権など日本にはなく、決定権も総理にありません。
何百回でも言います。
黙って何もしなければ、状況は悪くなる一方です。
座して死を待つか?立ち上がるか?の2択です。
大人は前者でもいい、自分さえ良ければ、という人もいるかもしれません。子ども達はそういうわけにはいきません。
以下は、Sato様より(全文はーー線以下)
「ロックダウンもマスクも感染防止にならない」
「ロックダウンやマスク義務を行った地域の方が感染者数が多かった」
「高齢者のことなんか考えていなかったのは明白」
「高齢者を喰い物にしてロックダウンを正当化していただけ」
「民主主義が危険にさらされているのに、政府に従っている場合ではない」
「ワ苦チン利権ばかりではなく、ロックダウンそのものが目的」
「どのように国民に恐怖をかきたて、家に閉じ込めたりマスクを強制するかということをやっていた」
「現実に病人がいようがいまいが、まるでどこからか来る指示に従って、言われたままに動いている」
「この危機状況の中で、人々はもはやお金も社会的地位も仕事も捨てて、ただ人間的であるために抗議活動をしている。もはや罰金だの逮捕だのの脅しで引っ込んでいるわけにもいかないところまで追い詰められてしまった。子供や高齢者が孤立させられているのを黙って見ていたくない、人権も自由も奪われた社会を子供たちに残したくない、と行動している。もはや自分の利益でもエゴでもなく、恐怖さえも乗り越えて、愛によって動いている。」
私もずっと「無償の愛」で動いています。
古くて新しい自然を尊重する八方良しの社会を創るために。
「今、この時代の大きな転換期にガチでぶつかっているのだ。恐怖で動く人たちと愛で動く人たちとが。それは古い世界の闇をふり落として、新しい世界が生まれていくプロセスなのかもしれない」
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Chihiro Sato-Schuh様の記事
「愛と恐怖はどちらが強いのか?」
世界中で筋が通らないことばかりが起きている。
オーストリアでは、ロックダウンとマスク義務は基本的人権に反するものであり、憲法違反であるという判決が出ていたのにもかかわらず、年末にまた同じ法律が作られていた。
ロックダウンもマスクも感染防止にならないことは、もう理論ばかりでなく現実にもはっきりしている。世界中でも、ロックダウンやマスク義務を行った地域の方が感染者数が多かったし、もう何回もロックダウンやってきて、それで感染数が減りはしないことはもう明白だ。だけど政府もメディアもそんなことは見ない聞かないふりをして、政府に反対する人々を取り締まらなければとあからさまに言っている。これはもう民主国家ではない、これは独裁制というものだ。
今までさんざん高齢者の命を守らなければというのを大義名分にして店を閉めさせていたのに、ワクチン接種した高齢者が亡くなったら、今度は高齢者が亡くなるのは自然なことだと言い出した。高齢者のことなんか考えていなかったのはもう明白だ。高齢者を喰い物にしてロックダウンを正当化していただけのことなのだ。
政府が言っていることが、普通に考えてももう筋が通っていない。そんなことを人々がまだ信じると思っているのかと疑うようなことを言っている。いや、この政治家たちは何か別の次元に生きていて、別の現実を見ているのだろう。とにかく、そうとでも思わなければ理解できない行動になっている。
オーストリアでは、年末から各地でデモがさかんに行われている。ロックダウン中でデモは許可されていないのだけれど、そんなことにかまっている場合ではなくなった。感染防止法が禁じても、意思表示を行うのは憲法で保障されている基本的人権だ。民主主義が危険にさらされているのに、政府に従っている場合ではない。もうウィーンばかりでなく小さな街でまで、普通の市民が何千人と街に出て、「平和と自由を! 独裁者はいらない!」と叫んでいる。それを政府やメディアは「極右過激派の暴動」と呼んで鎮圧すると言っているが、画像に映っているのはそんな人たちではなく、ごく普通の人たち、普通のお父さんやお母さんである人たちなのはもう隠しようもない。
こうなってくると、もはやワクチン利権ばかりではなく、ロックダウンそのものが目的であるらしいことも見えてくる。パウル・シュライヤーというドイツのフリージャーナリストの動画がクリスマスの頃に出ていたのだけれど、それによるとアメリカやドイツで20年も前からパンデミックが起こった場合の訓練ということでシミュレーションを行っていたことがわかっている。世界中の政治家、厚生省やメディアのジャーナリストたちが招待されて、どう対応すべきなのかをシナリオ通りに演じる訓練をしていた。その中で、どのように国民に恐怖をかきたて、家に閉じ込めたりマスクを強制するかということをやっていたそうだ。
つまり、防災訓練をやるときみたいに、緊急の場合にどう動くべきなのか、判断停止状態でも反射的に動けるように、こういうときにはこうする、というのを条件づけていたわけなのだ。それで、このパンデミックでどうして世界中の政府やメディアが同じように動いたのかも説明がつく。現実に病人がいようがいまいが、政府もメディアもまるで見えていないかのようだ。まるでどこからか来る指示に従って、言われたままに動いているかのようだ。判断停止状態のままで、平和的なデモの参加者を警察に襲わせたり、高齢者を死ぬまで閉じ込めたりしている。
あの人たちのあの実行力は恐怖から来ている。富や地位を失う恐怖なのかもしれないし、従わなかったら破滅させられる恐怖なのかもしれない。従わなかったら逮捕するとか高額の罰金だとか、解雇するとか外に出さないとか脅してくるところを見ると、あの人たちも同じような脅迫をどこからか受けているのだろう。加害者の中にはつねに被害者がいる。人にしていることは、自分がされていると感じていることだからだ。逆に、感染者数や死亡者数の水増しに協力すると高額な補償金がもらえる仕組みになっているらしい。お金の誘惑で人を操作している。ということは、あの人たちもお金で誘惑されて操作されているのだろう。
この危機状況の中で、人々はもはやお金も社会的地位も仕事も捨てて、ただ人間的であるために抗議活動をしている。もはや罰金だの逮捕だのの脅しで引っ込んでいるわけにもいかないところまで追い詰められてしまった。子供や高齢者が孤立させられているのを黙って見ていたくない、人権も自由も奪われた社会を子供たちに残したくない、と行動している。もはや自分の利益でもエゴでもなく、恐怖さえも乗り越えて、愛によって動いている。
恐怖やお金から動く人たちと、愛で動く人たち。いったいどちらが強いのだろう? 恐怖で動いている政治家やそれに従っている人たちは、恐怖に駆り立てられて残虐なことでも平気でしてしまえる力を持っている。それが恐怖で動く人の強さなのだけれど、だけど恐怖はしょせん恐怖だ。恐怖は人の力を奪ってしまう。そして何より、恐怖で動いている人は、恐れている現実を引きつけてしまう。
愛で動いている人たちは、追いつめられれば追いつめられるほど純粋になっていくようだ。そして無償で協力する人たちの愛のネットワークがどんどん広がっていっている。それにお金や脅しで動いている人たちはどこまで対抗できるのだろうか? 本当の人間的な愛に支えられている人は強い。そして行動することに深い喜びを感じている。その喜びこそは大きな力だ。愛で動いている人は愛を引きつける。
それが今、この時代の大きな転換期にガチでぶつかっているのだ。恐怖で動く人たちと愛で動く人たちとが。それは古い世界の闇をふり落として、新しい世界が生まれていくプロセスなのかもしれない。