「嫌われる勇氣」と「肝を据える」

2021-06-06 | 八方良しを目指して

 先日、西田聡先生が
「嫌われる勇氣」
という投稿をされていました。
 確かに、私は嫌われることを厭わないです。
4年前、6年前、8年前の今日6月6日に下記の同じ内容の投稿をしていました。
肝を据えないと、「コロナ新常識」のような講演会はできません。
ベストセラー「嫌われる勇氣」の帯には、「自由とは他者から嫌われることである」とあるそうで。
 私はどこに行くにも一切マスクせず、世間の常識とは真逆の投稿を何年も続け、嫌われている(笑)。
でも、何を言われようが、殺人に加担したり、子ども達を害することはできませんし、「嫌われるかどうか」よりも自由であることや子ども達の未来・健康・命=日本の将来のほうが大切、です。
 人に嫌われないために生きているのでもなく、感染しないために生きているわけでもありません。

※添付は私のオリジナル画像です。

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以下は、私の4年前の記事
「上甲塾長の1日1語」
『「しつこく言えば嫌われる」と思っている程度では、人の心を動かすことはできない。
自分が嫌われることを恐れること自体、既に迫力がない。
自分が嫌われようが、嫌われまいが、そんなことは関係ない。
やるべきことはどんなに嫌われても、嫌がられても、
絶対にやり続けるという迫力が、みんなの心を徐々に動かしていくのである。
まさに、『本気さ』が証明された時、人の心は動くのだ。』
4年経ってもまだまだ私などは嫌われ足りないな~。
以前紹介した高野誠鮮さんの講演会でも「嫌われる覚悟が必要」と仰っていました。
もうひとつは「肝をすわった人間」というお話。
私に足りないところで、「肝をすえて」いこうと思います。


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