もう日本も全体主義国家になってきています。
感染症を理由に私達を誘導・管理し、最も大切な「自由」を奪いにきています。
支配者が仕掛けた戦争であり、完全なる戦時中です。洗脳されたり盲従の人は良いことだと思って、買収・脅された人々は確信犯で、私達を縛り自由を奪っています。
従わない者、異論を唱える者は排除・逮捕・非国民・暗殺。私もいずれそうなる可能性もあると思っています。やろうと思えばいつでも誰でも逮捕や殺したりできるのです。
以下の動画もすぐに消されるでしょう。
「国民主権党 党首 平塚正幸氏の逮捕の瞬間」
「わかりましたと出口に向かっているのに逮捕」
報道は、不当逮捕とは真逆の報道をしたようです。
より長い、違う視点の動画↓
以下の欧州&添付の香港の酷さを見れば、日本もいずれ同様の状態にするつもりでしょう。「明日は我が身」。日本は欧米と比べ、桁違いに死者は少ないのに、です。
今夜のニュースでも、「従わない者には罰則や罰金を検討する」と伝えていました。要するに、「これからそうするよ」と予告しているのです。第2波・第3波の創作もそうだったように。
下記のSato様の記事より
「今の状況は80年前のユダヤ人弾圧のときと似ていると言っていた。あのときも、政府は少しずつユダヤ人の自由を制限していったのだそうだ。店の営業が停止になり、黄色い星をつけさせられ。そのたびに、これくらいで済むならと従っているうちに、強制収容所に入れられるところまで行ってしまった」
「目の前に見ている現実と、メディアや政府が言っていることがあまりに違いすぎる」
「もうお金とか地位とかにしがみついている場合じゃない。魂を売るのかどうなのかというレベルになっている。従うことで独裁主義に加担するのか、それとも魂の声に従うのか」
「政府はまるで、国民がどこまで従うか試してでもいるみたいだ」
皆さん、氷山にぶつかろうとしているのに何もせずにタイタニック号になるのですか?
座して死を待つのか?立ち上がり危機から脱するのか?
日本は海外に比べれば、まだ縛りは弱いのです。
何もせず経過すれば事態は悪化する一方ですが、今、立ち上がれば(=皆で政治・行政・マスコミに従うのをやめ、おかしいと声を届ける)、茶番を終わらせることができます。やるしかないでしょう。
「加害者・犠牲者のゲームは、犠牲者が犠牲者であることをやめてしまえば、その一瞬で終わってしまう」
「私たち一人一人が「もう従わない」と肚をくくることでしか終わらない」のですから。
家畜となるか、人として生きるか?子ども達を殺すか、救うか?
私達は、歴史上の大転換期に生かされています。
未来を天国にするか地獄にするか、私達=あなたにかかっています。
日本の侍と大和撫子は絶滅ですか?
男達に侍魂は残っていないのでしょうか?
「侍のように」
風邪や万一にビビッて、おかしなこと・違うと思っていることをやり続け、沈黙・黙認を続けますか?
日本=私達が立ち上げれば世界も救うことができます。それができる人々・国だと信じています。なぜなら、いつも講演でもお話しているように、私達のご先祖様は本当に凄い人達だったからです。目覚めて、本氣を出せば、ものすごい力を発揮します。世界最高の日本の物造りや伝統がそれを証明しているのです。
世間に合せなくとも、右に倣わずに長いものに巻かれずに自分の想う世界を創ることができるのは、私が本業でやってみせて証明しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
Chihiro Sato-Schuh様の記事
「オーストリア政府が昨日、1月半ばまで完全なロックダウンに入ると発表したそうだ。そればかりではなく、ロックダウンの終わりに集団テストを行って、陰性が出た人だけロックダウンが解除されるというから、わけがわからない。
90%以上が偽陽性で、もちろん症状もないテストだから、やればやるほど陽性者は増える。テストしようがしまいが、どのみちロックダウンは続くことになる。それでテスト拒否した人は外に出さないと脅しをかけてくるのだから、レベルが低いというかやり方が卑劣というか、これはいくら穏やかなオーストリア人でもマジに怒るんじゃないかと思った。
オーストリアだけじゃない。ヨーロッパ中がそんな状況だ。反対意見は徹底的に弾圧するやり方で、一方的にことが決められていく。もうウィルスを恐れている人はほとんどいないだろう。多くの人が恐れているのは、陽性が出て隔離されることだ。マスクをして歩いている人の顔が何だか灰色になって生気がなくなっているのが目につく。一日も早く元の状態に戻りたくて、もう我慢の限界なのだ。何を非難していいのかわからなくて、心がすさんだようになっているのを感じる。
夜明け前が一番暗いということなのかもしれない。ここまで追いつめられたら、もうどうにかなるしかない。もうお金とか地位とかにしがみついている場合じゃない。魂を売るのかどうなのかというレベルになっている。従うことで独裁主義に加担するのか、それとも魂の声に従うのか。
もう臨界点に達するんじゃないのか、あるいはもう臨界点に達しているんじゃないのか、とドイツの弁護士グループが事情聴取のライブストリーミングで言っていた。あまりに筋の通らないことが押し通され続けて、それを受け入れているのにも限度がある。いつまで裸の王さまを讃え続けていられるのか? 目の前に見ている現実と、メディアや政府が言っていることがあまりに違いすぎる。このズレがあまりに激しくなると、一気に化けの皮がはがれる瞬間が来るのかもしれない。
やはり何と言っても、真実ほど強いものはないからだ。心が感じているものと、言われていることとの違いが大きくなっていくと、均衡を取るために心身に大きなストレスがかかる。それがある地点で均衡が崩れると、心が感じている真実が全面に顕れる。
加害者・犠牲者のゲームは、犠牲者が犠牲者であることをやめてしまえば、その一瞬で終わってしまう。臨界点に達するから、それは自ずと起こるのだ。どんな風にしてそれが起こるのかはわからないけれど、もうここまで来たら、あるちょっとしたきっかけでドミノ倒しのように一気に変わる瞬間があるんじゃないか。それがもうそろそろ起こるんじゃないかという気が、この頃はかなり強くしている。」
「土曜日のウィーン、かなり大きなデモになったみたいです。首相官邸の前で鐘太鼓鳴らしながら、「平和と自由を!独裁者はいらない!」「クルツ首相は去れ!」と叫んでいます。オーストリア人はノンビリした性質なので、こんな風に怒るなんてあんまりないんですけど、さすがにこれには怒りましたね。」
Sato様の記事をもう1つ。
「ドイツの憲法裁判所の前では、法律家たちが法服を着て、集会禁止令に抗議するデモを行っていた。
ワクチン接種を始めているヨーロッパでは、おそらくどこも同じような状況なのだろう。政府は異常な強硬さと露骨さで人々を締めつけている。もはや政府が国民の健康を考えているなど、誰が思うだろう? 高齢者たちは感染対策で守られるどころか、ろくな介護も受けられず、家族にも会えずに死んでいく。そして今度は、安全性が確かめられていないワクチンを身体が弱っている高齢者にまず接種すると言っている。政府はまるで、国民がどこまで従うか試してでもいるみたいだ。
アメリカのユダヤ教のラビは、今の状況は80年前のユダヤ人弾圧のときと似ていると言っていた。あのときも、政府は少しずつユダヤ人の自由を制限していったのだそうだ。店の営業が停止になり、黄色い星をつけさせられ。そのたびに、これくらいで済むならと従っているうちに、強制収容所に入れられるところまで行ってしまったのだと。
ドイツの憲法裁判所前でのデモで、弁護士のマルクス・ハインツさんは、「もういくら訴えられてもかまわない」と言っていた。こんなことは皆、憲法違反なのだ。集会の自由が失われるなんて、民主国家にはあり得ない。それなのに、それが通ってしまった。こんなことまで受け入れるのは、もう尊厳に関わる。だからもう受け入れない、と。
彼のこの哀しげな、でも毅然とした表情に、肚の据わってしまった人間というものを見た。もう譲れない一線まで来てしまったのだ。これを譲ったら、人間としての尊厳を捨てるのも同じだという一線に。尊厳を捨てるくらいなら、逮捕でも何でもされた方がいい。だから集会禁止令が出たあとで、法律家たちが法服を着て集まっている。
そこまで追いつめられて、従うよりも尊厳を選ぶという決断をする。するというよりも、もうそれしかなくなっている。私ももう肚が据わってしまった気分だったから、これは今ヨーロッパで集合意識的に起こっていることなのかもしれない。もうこれ以上は譲らない、とその場に座り込んで一歩も動かない覚悟を決めてしまう。決めるというよりも、もう動けない。魂の声がもう一歩も動くなと言っている。これ以上譲ったら、人間を捨てるぞと。
その覚悟を決めてしまった人間には、容易に手が出せない。それだからか、これまでデモの参加者に襲いかかったり放水したりしていた警察も、この法服を着て集まっている人たちには、まわりで見ているだけで、阻止しようともしていなかった。
この危機がいったいどうやって終わるのかわからない。裁判もいくつも行われているけれど、あるいはそれよりも、私たち一人一人が「もう従わない」と肚をくくることでしか終わらないのかもしれない。いや、そうなってこそ、本当に新しい世界はできるのだと思う。政府やメディアの支配から自立した人々が作る、本当の調和のある世界がだ。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
Naoki Takaishi様の記事
「香港とんでもない状況になってますね…
もはや感染症対策でも何でもない監視社会。今のコロナ騒動がこれの予行演習だとなぜ多くの人が気づかないのか」
※添付3枚目は小林よしのり著「コロナ論」より