「葉隠入門」 三島由紀夫著

2024-05-26 | 社会評論

佐賀の藩士田代陣基という人が同じく佐賀藩士だった山本常朝が出家した後、1710年に常朝が語ったことを筆記して編纂したのが「葉隠」。その「葉隠」に三島由紀夫が心酔し、三島が亡くなる3年前の昭和42年に書いたのが「葉隠入門」で、57年経った現代(葉隠からは314年!)まで読みつがれてロングセラーとなっています。
時代は変わっても、人間・社会の本質的な問題は変わらないのだと実感します。
以下に少しご紹介します。

『毎日死を心に当てることは、毎日生を心に当てることと、同じということを「葉隠」は主張している。我々は今日死ぬと思って仕事をする時に、その仕事が急にいきいきとした光を放ち出すのを認めざるをえない。我々の生死の観点を、戦後20年の太平の後で、もう一度考え直してみる反省の機会を、「葉隠」は与えてくれるように思われる』

『毎日これが最後と思って生きていくうちには、何ものかが蓄積されて、一瞬一瞬、一日一日の過去の蓄積が、もののご用に立つ時がくるのである。これが「葉隠」の説いている生の哲学の根本理念』

『現代では、見逃し聞き逃しの度が過ぎて、すべて見逃し聞き逃しのほうがもとになってしまったことから、道徳的腐敗が惹起されることとなった。それは寛容ではなくて、ただルーズというだけだ。厳しいモラルの規制があるから、見逃し聞き逃しが人間的になるのであり、そういうモラルの崩壊したところでは、それらは非人間的にさえなる』

『母親が愚かなため、父と子の仲が悪くなることがある。母親は子どもを溺愛し、父親が意見すると、子どものひいきをして、子どもと示し合わせたりするものだから、その子はさらに父親と仲が悪くなってしまう』

『母親はわけもなく子を愛し、子どもと一緒になって父親に対抗し、その子が父と不和になる例はいたるところで見られるとおりである。父親は疎外され、父親と息子の間における武士的な厳しい教育の伝承の教育は、いまや何ものもないままに没却されてしまい、子どもにとってすら父親は、ただ月給を運ぶ機械にすぎなくなり、なんら精神的な繋がりの持たれないものになってしまった』

『初めはいやいや教訓を承っていた若い人達も、やがて自分が教訓を与える立場になると、もはや人から教訓を受ける機会は無い。かくて精神の停滞が始まり、動脈硬化が始まり、社会全体の避けがたい梗塞状態が始まるのである』

『一、武士道において遅れをとらないこと
一、主君のお役に立つべきこと
一、親に孝行いたすこと
一、深い慈悲心をもって、人の為になるべきこと
以上4つの誓いを毎朝神仏に祈るようにするなら、力は倍加して、うしろへは戻らぬものとなるだろう』

『武士道を極めるためには、朝夕繰り返し死を覚悟することが必要』

『にわか雨にあっても、初めから濡れるものだと得心していれば、濡れたとしてもなんら苦にはならない。これはすべてのことに共通する心得である』

『人の心を見定めようと思えば、病気をしろ』

『困難にぶつかったら、おおいに喜ぶこと』

『慣れ親しむようになっても、はじめて会ったことのように、慎みの心をもって接すれば、仲たがいなど起こりはしないもの』

『大きな仕事を成し遂げる者は、欠点がなければできないのだ。身に大きな節操をもっている時は、少しくらいの間違いがあっても構いはしない』

以下は、最巻末に掲載の田中美代子氏による解説

『人生をいかに生くべきか、というかつての求道的倫理的な問題は、今では日進月歩する科学的な生活改良や健康法や姑息な処世の技術や、要するに瑣末な日常生活への関心にとって代られた。しかし、生活自体への関心は、利殖と保身と享楽の追求におわる』

『三島由紀夫は、敗戦後の日本人の魂の危機と「生の哲学」の行きつく果てを、いち早く予感した、というべき』

参考に動画を載せておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=zlGMWIbGjEg


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