「人の氣持ちがわからない」についての考察

2024-06-17 | 社会評論

以前、「他人(ひと)の氣持ちがわからない」と言われたことがある、という投稿をしていた方がいらしゃいました。
炎上するかもしれませんが、そのことについて書かれている本を以前、最近と読んだので、何かのタイミングかと思い少し書いてみます。

そもそも、「他人の氣持ち」などわかるのでしょうか?
わかるとすれば、ほぼ同じ経験をしたことについてだけでしょう。

私は、母が突然亡くなったので、同じ経験した人の氣持ちはある程度、わかるかもしれません。
しかし、その人の氣持ちがすべてわかるわけではありません。
育った環境も母親との歴史や関係も私とは違いますから。

私も、「他人の氣持ちがわからない」と言われたことが何度かあります。私は未熟な人間ですから反省もしますし、感じ取ろうとする努力は必要でしょう。

が、何かが起きた時に、それをどう捉えるか、受け取るかは人それぞれです。
その人でもないのに、その人がどう捉え、どう受け取るかなど、わかるはずがありません。

こちらが善意でしたことでも、相手が悪く取ることもあります。
相手に喜んでもらえると思ってしたことが、逆の結果になるということは、相手の反応・受け取り方がわかっていなかった、ということ。
同じことをして、Aさんは喜ぶけど、Bさんは怒ってしまった。ということもあります。

他人の氣持ちがわかるなら、他人に「あなたは他人の氣持ちがわからない」などと言いません。
言われた人の氣持ちがわからない人です。
しかも、「あなたは他人の氣持ちがわからない」という言葉には、「自分は他人の氣持ちがわかる。でも、あなたはわからない」という意味、さらに、「あなたは他人の氣持ちがわからないから駄目だ。わからないんだから、わかるように変われ」という意味も含まれませんか。
かなり傲慢なことだと思います。

私に「他人の氣持ちがわからない」と言った人のうちのお二人(複数から言われてるやん!というツッコミが)は、「私が〇〇と思っている」と決め付けていましたが、私はそんなことは1ミリも思っていませんでした。
勝手に思い込み、決め付ける、そしてその前提で思考したり行動するのは、とても危険なことだと思います。
大切なことを教えてくださった反面教師ですね。

冒頭の『「他人の氣持ち」などわかるのだろうか?』の答えは、皆さん、いかがでしょう?

以下の著書の記述に私は同意し、自戒も込めて紹介させていただきます。

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「人間を磨く」田坂広志著 より
http://www.hosaka-n.jp/blog/cat03/7228.html

「正対」できないのは、根拠のない思い込みがあるから。互いに心の奥深くが分かっているわけではないのに、分かっていると思い込む。自分の勝手な「思い込み」で相手を見る。
最初に行うべきことは、思い込みを捨て、相手の声に耳を傾けること。



「問題行動の意味にこだわるより、解決志向で行こう」 森 俊夫著

心理療法などをやっていると、「先生は人の心が全部お見えになるんでしょうね」なんてよく言われますけれど、そんなことあるわけないじゃないですか!気持ち悪い。人の「心」がレントゲンみたいにポワーンと見えるんですか?
それに、それって「わかる」ようにならなくちゃいけないことなんですか?人の言葉の行動の裏のメッセージを読めるようになることって、そんなに大事で素晴らしいことなんですか?

人とかかわる際に、いつくかやってはいけないことがあると思うのです。それは意味の深読みをしてしまうこと、意味のない所にこちら側の勝手な意味を付け加えてしまうこと。

見えないものが見えちゃった時こそ、要注意だと思って間違いありません。それは「見えた氣になっている」だけのこと。勝手に意味づけしているいい証拠。「仮説」が「妄想」に取って替わられた瞬間。

人には常に両面性があり、多面的であるにもかかわらず、どこかその一部分だけを取り上げて、「あの人はこういう性格だ」と言って、それを「変わらない」ものとすることに、いったい何の意味があるのでしょう。



「引き寄せ」の教科書 復刻改訂版』 奥平亜美衣 著


あなたが抱いている様々な物事や人に対する考えは、それが事実であろうがなかろうが、すべてあなたの思い込みであり固定概念。その思い込みから現実が創られている。




「まなざしの革命」 ハチムラチカヒロ著

問題は常に発生する。問題とは解決すべきものではない。問題から解放されるべき。
本当に解放する革命とは、自らを解放すること。誰かや何かに対して変革を迫ることではなく、社会的な価値観や常識、欲や恐れに取り憑かれている自らのまなざしに革命をおこすこと


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