「家庭内の権威と権力の混同」中野裕司様の記事

2024-07-14 | 社会評論

今のご時勢では女性に嫌われてしまう記事かもしれませんが、子育て・家庭円満のために、とても重要なことだと思いますので、以下に中野様のFBに投稿された記事をご紹介します。

「賢い女性は、男を立て、盾にして、おだて上げてどこまでも走らせます。
男は、その気にさせられ、煙のように昇って行きます。
このような女性は、男の運を開くためアゲマンと称されました。
そのような状態では、子ども達は親父の言うことを素直に受け取ることを覚えます。
物事を覚えるに当たっては素直が大切となるのですが、その美徳を埋め込むことができるのです。
 
昔は、そのような女性を育てる仕組みがありました。
それが「カカア」、輝くもの、かみ(上・神)さん、奥方、内儀、御寮はん、などといわれる存在となりました。
私が家の経営者と称する存在です。
 
経営者の大切な仕事は、組織・家の存続であり、経済的基盤と「人材教育」、すなわち子育てです。
このためわが国ではお母ちゃんに財布を握られて来たのだし、平和に収まって来ました。
お母ちゃんは、権威と権力の両方を握っていたのであり、力の部分を親父・男に委譲していたのです。
そして男をおだて上げ、その気にさせ、うまく使っていました。
外向きは男の仕事、内・家のことは女が取り仕切ったのです。
 
江戸時代は儒教的な男尊女卑とされていますが、それは表層的な見方、男女それぞれの役割を担い助けあっていたのです。奥、内、家は女性が管理し、財産権などもきちっと持っていたのです。
旧石器、縄文から続く女権制的な世界の基礎の上に、男権制的な世界が乗っている2階建てというものでした。
 
それが変わったのは明治の御一新。
天皇一神教の元、良妻賢母という形で、ユ基一神教的な男尊女卑が植え付けられ、敗戦によって自由、男女平等、3S、そして専業主婦というサラリーマンの妻などという世界が生まれ、大家族制が壊され、女性は核家族という狭い世界の住人となってしまいました。制限のない、自由気ままが許される世界です。
 
それによって、女性の賢さが壊され男性化、中性化が進められました。
その結果、輝くものという立場を自らが捨て、経営者という権威・権力をきちっと使うこともせず、男が運んでくる給与に依存する存在となってしまい、権威・権力を壊してしまったのです。
 
結果、男も女もない、中性的なバラけた世界とし、感情的な世界としてしまいました。
昔は、大家族の中で感情をコントロールする術を会得し大人になっていったのですが、核家族ではそのような機会はなく、気まま、わがままに振る舞うことが自由だとのはき違えがまかり通るようになり、精神を幼稚化、幼児化させてしまいました。
 
その結果、現在、わが国の混迷を招いているのです。
勝手気まま、わがままという世界は、ある面物事を思い付きでできる世界ですから、きちっと感じ、考え、判断するという面倒な作業は不要となるのです。ものを考えなくても暮らして行けるのです。
そして白物家電が身体を使うという家事労働からも解放したので、ますます段取りなど時間を効率的に使うなどものを考えない傾向が強まって行きました。
その一方で、自分のため、その裏返しの自分を守るという本能的な心はむき出しになってしまいます。
自分のことなど省みる暇なく食の調達、家事と働いていた女性が暇を持て余すようになってしまったのです。
小人閑居として不善を成す時としてしまったのです。
 
賢い女性、家の経営者としての智恵を持った女性が多ければ、何かおかしいなと本能的な知恵が働き、このような世界にはなっていなかったでしょう。昔はサゲマンと称された女性となってしまったのです。
強い女性が感情のおもむくままに動いてしまうと、子供たち、特に男の精神を壊してしまうのです。子供達を感情的に支配してしまう、それによる様々な葛藤によって生まれる問題が大きいのです。
子供達は、愛するものに愛されたい、でもその束縛から逃れたい、その矛盾が大きく立ちふさがるのです。
その負の連鎖が現代社会を包み込んでいるように感じます。
 
子供は、小さな頃は、母親の言うことを聞いていても、体力がつくと逆らい出します。
特に男の子は顕著です。
体力のあるもの、元気のあるものは、親の小言を無視し続け、ゲームなど今楽しければ良いという安直な世界に逃げ込み、親が小言を言い疲れてしまうまで行い続けます。で、反抗のつもりが中毒にはまり込んでしまいます。
 
子供達をゲームに追いやり、はまりこませてしまうのは、親が感情的に支配しようとする世界からの避難なのでしょう。でも、避難したその先には感情を高揚させ麻痺させてしまう世界が待っています。
昔は、親に反抗し不良と言われた者達が、今は、ゲーマーと称される世界にはまり込んでいるように思います。そして、その頻度が大きくなっていることが大きな問題です。

逆に体力のないものは、物分かりの良い良い子になってしまいます。
言われるがまま流されるものとなってしまいます。
ゲームなどの中毒にははまり込まないかも知れませんがひ弱となってしまう傾向が生まれているように思います。
コロナ禍での政府の示す政策に流され、無批判にワクチン接種を受けてしまう人々はそのような人達ではないかと感じます。
 
未熟な悪しき感情を、気まま、わがままをあからさまにせよ、それを大きく育て文化遺伝子として固定し、さらに拡大せよ、と教えるのが自由平等狂育なのです。
その至った結果の一つがゲームであり、ゲームがまさに、現代社会の進む方向を表しているのです。
 
その阻止のためにも、母性よ蘇れ、と言挙げしているのです。それは、親父、お袋の調和の取れた世界でもあります。
 
ゲームを含め子育てについては、まずは母親と父親が同じ考え、ベクトルを合わせことに当たることが大切でしょう。
男にとっては、残念なことですが、母親の後支え・支援のない小言は子供は聞き入れてくれないでしょう。
何処まで行っても、子供は十月十日、そして腹を痛めた母親のものなのです。
それほどに母の影響は強いのです。
 
そういった現実のなかで、母親は子供は自分のものという感覚をつのらせ、感情のおもむくままに育てると、母親は鬼子母神的グレートマザーとなってしまいます。
三つ子の魂、無意識の時代以降は次第に手放し、自立・自律へと向かうように誘導するのです。自立・自律とは、野生の感性、野生の身体を手に入れるということなのです。
そして野生の感性・身体を基礎として、6歳6ヶ月以降は、頭・脳の世界、智の伝達・教育の時期、親父の出番がやってきます。
 
そのような成長の流れ、段階を無視し、次第に親離れ、子離れに密びく時期に、母親が感情をむき出しにし禁止ししてしまうと、子は、それに対する反抗心をつのらせるようになってしまいます。
そのようになつてから親父が出張っても遅いのです。
そのようにならない前に、重篤化しない内に母親とベクトルが合っていないと大変なのです。
父親の出番は、母親の支援、ベクトルを合わせた後でないと有効には働かないのです。
その上で、子ども達と話し合い、ゲームなどの問題点について理解してもらわなければならないでしょう。
 
母親は、日頃から父親の権威を造り出しておくこと、尊敬出来る男にすること。
父親がいない場合は、その代わりになる大人、そのようなものが周りにいない場合は、母親が父親の側面も合わせ持たなければなりません。その父親像を目指して男の子は男・漢になって行くのです。
もちろん、男は理想の男を目指すわけですが、それを認めその気にさせるのは周り、特に母親、そして「かみさん」、女性なのです。その認める力が、独立心旺盛な良き子、良き次世代、善き社会を育てることになるのです。
 
このように記すと、女性にシカトされ、不公平だと叱られてしまいますが、男は永遠の子供という属性を持っているのです。
大きな子供と小さな子供を育てるのが母という存在なのです。
その安心・安全、心の支えの元で興味をつのらせ、母親のため、女性のため外界に飛びだして行くのです。
男は、そのように脳の構造ができているのです。脳の構造が違うのです。
その脳の構造の違いが、反抗心などでひっくり返ってしまうと内にこもりゲームなどにはまってしまうことになるのです。」

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